ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-09-05(Mon)

 月曜日は、早朝に目覚めたときから「またこれから5日間、早起きして仕事に出るのか」と気が重い。そして起き出してテレビをつけてみても、月曜日のこの時間は、いつもなら何か放送しているNHKも「試験電波放送」で、これはどこの局も同じである。ただチバテレビだけが今の台風の進路を知らせながら、バックでEnyaの音楽を流しているわけで、いくらか気分も和やかになる(早朝はEnyaの音楽を聴くのがいい)。見ていると、今日の千葉の「日の出」の時刻は5時15分だと表示されていた。わたしはそれよりも40分早く家を出るので、もう東の空が明るくなって来たりするのを見ることも出来なくなった。

 今のわたしの毎朝の楽しみは、勤務先の近くの芝生で群れているスズメたちを見ること。今朝も、その数は数えられなかったけれども、数羽のスズメたちが群れているのが見られた。写真はまたボケたけれども、そのうちの一羽。

     

 通勤電車の中ではいちおう、読んでいる文庫本の『ポオ 詩と詩論』を読む。今は「詩」の最後の方なのだけれども、やはり大半の詩はわたしには「面白さ」はわからない。読んでいてもつまらないので、けっきょく本はバッグにしまって、ケータイを眺めはじめることになる。
 しかし、これだけ楽しめない読書というのも今までになかったこと。前にWipipediaでW・B・イエイツがポオのことを「俗悪」と言ったことを知って激しく同意したのだが、今日読んでいた文庫の巻末の佐伯彰一氏の「解説」を先に読み、イエイツだけではなく、エマスンも彼を「the jungle-man」と切り捨て、ローウェルも彼の作品の「四分の三は全くのたわごと」とし、ヘンリー・ジェイムズなどは「まるで無価値なもの」と言い切っていたというのを読んだ。
 わたしはポオの作品にすばらしいものもあったと思うが、ローウェルの語った「四分の三は全くのたわごと」という意見に今は激しく同意する。しかし、はたしてそういう解釈でいいのだろうかとは思うわけで、つまりはわたしとしてはほとんど知らないままでいるポオの人生のことをもっと知りたいとは思い、帰宅してからAmazonでポオの伝記とか評伝とかを探してみた。ところがこれがほとんど刊行されていないというか、まったく見当たらないのだった。「エドガー・アラン・ポオ」といえばいちおう「大作家」という評価のはずなのに、この関係書籍の「寂しさ」はどういうことだろうと思ってしまう。
 かろうじて、そういう偉人の評伝を読もうとすれば定番の、清水書院の「Century Books 人と思想」シリーズで出ているものが今でも入手可能だったので、こいつを注文してしまった。わたしとしては何とか、自分の中でエドガー・アラン・ポオを「復権」させたいのだ。

 ネットやテレビの報道を見ていると、岸田内閣の支持率がさらに下がり、ついに不支持率が支持率を上回ったということ。
 それはそうなるだろう。今直面する問題に、何ひとつとしてわたしなどを納得させる政策を取ろうとしていないのだから。
 喫緊の課題であるところの「自民党」と「旧:統一教会」との関係問題に対しても「ビシッ」という解決策を出さず、まだ重要地位にある党員でその「旧:統一教会」との関係が問題視されている人物が何人もいるままだし、故・安倍元首相と「旧:統一教会」との関係にせよ、「故人であられるところから究明に限界がある」などと、さいしょっから究明する気がないのは明白。昨日のテレビの討論会に出席した茂木幹事長の態度など、「もうこれ以上問題にするつもりはない」というところだった。そして国民の半数以上が「反対」としている、その安倍元首相の「国葬」を強行しようとしているわけだ。「COVID-19」対策にしても迷走しているわけだし、その上にこの時期に、「新規原発の建設」にも言及したりする。現在の生活品値上げラッシュにも対策せず放置姿勢だ。これは評価するポイントなど皆無ではないのか。前のスガ義偉と変わらないではないかというところだ。

 今日の夕食は、駅前のスーパーでレトルトカレーの名作「銀座カリー」のシリーズがけっこう安く売られていたのを(Amazonより100円以上安かった!)、3種類ぐらい買って帰り、そのうちの基本の「中辛」を食べてみた。
 いい味だったけれども具がほとんどないので、コレは自分でじゃがいもとかニンジンをプラスしてアレンジしてみたいな、などと思うのだった。