ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『こちらあみ子』今村夏子:著

 「こちらあみ子」、「ピクニック」、そして「チズさん」の三篇を収録。久しぶりに読み返した。


 「こちらあみ子」

 わたしには、とっても「恐ろしい」作品に思える。主人公のあみ子は、ストレートに言ってしまえば、これは「発達障害」ではないかと思える。
 この作品はそんなあみ子の小学生の時期から、中学を卒業し、田舎の祖母の家にやられるまでのことが書かれている。
 あみ子は周囲からの感覚的な刺激にのみ過剰に反応してしまい、いくら子供とはいえ、周囲の客観的な情況をまったく飲み込めない。

 まずは父が後妻を迎えるのだが、その「新しい母親」にさいしょに会ったあみ子は、母のことを「ほくろおばけ」と呼び、兄に「ぜったいにそう呼ばないように」と注意されたりする。
 新しい母はそのうちに妊娠するが、新生児は産まれてすぐに死んでしまう。あみ子はそこから暴走するというか、「家に霊がいる」としつこく言い、ついには死んだ子のために「弟の墓」とクラスメイトに墓標を書いてもらい、家のプランターに立てる(実はあとで父からあみ子に、「妹だった」と語られるのだが)。あみ子は母にその墓標を見せ、そこで母は泣き崩れ、精神の均衡を失ってしまう。それまでの描写ではよくあみ子のことに気をつかっていたようだった兄も、「不良」になり家を出てしまう(兄は終盤にいちど家に戻って来て、あみ子の目の前で、窓の外に営巣されていた鳥の巣をつかみ、巣の中の卵ごと宙に放り投げるという「象徴的」なシーンもある)。
 父もあみ子の行動にさすがに我慢しきれず、あみ子の肩を押したり、あみ子といるときに畳に拳をぶっつけたりする(この、父の「抑えに抑えたあげくの」怒りの表出が、強烈だった)。ついに父はあみ子に「引っ越そうか」と語るが、それはあみ子を田舎の祖母の家に移すことを意味していたが、あみ子は「父が母と離婚して、自分と二人で転居するのだ」と解釈する。

 学校のクラスメイトの「のり君」のことをあみ子は好きなのだが、まったくコミュニケーションは成り立っていない。さいごのとき、あみ子はただのり君に執拗に「好きじゃ、好きじゃ」と一方的な思いを投げつけるだけで、ついにはのり君に殴られて前歯を折ってしまうのだ。

 祖母の家で暮らすあみ子は高校に進学したわけでもなく、小学生のさきちゃんと仲良くしているようだ。

 ‥‥つらいよね。小説は淡々と「あみ子」の思考をたどるわけだけれども、そんな中であみ子が気づかなくっても、どれだけ周囲の人間があみ子の言動で傷ついているかが読み取れてつらい。しかしただ、あみ子には「わからない」のであって、この小説の一種「残酷さ」は、そういう「わからない」ということがあまりに「痛い」からだと思う。
 あみ子の兄が「もうあみ子といっしょの家にいたくない」(じっさいに、そう言ったわけではないが)というのもわかるし、父が「引っ越そうか」という気もちもわかる。それで、では「あみ子」は唾棄すべき存在なのかというと、もちろんそんなわけないのであって、それがまさに「つらさ」なのだろう。

 今村夏子の以後の作品のように、家を出て行ってしまう兄(『星の子』では姉が家出する)、そして今村夏子の作品に以後も登場する、牧歌的な田舎の「祖母の家」というのがあり、まさに「家族」という問題を取り上げつづける今村夏子の、原点というにふさわしい作品だとは思う。


 「ピクニック」

 これまた「ヤバい」作品。若い女の子たちが「ローラーシューズ」を履いて客と応対するという店があり、そういえば昔そういう舞台を描いた映画があったな、とは思うのだけれども、そんな店に、ちょっと周囲よりは年配の「七瀬さん」が勤めはじめる。彼女だけは特別にローラーシューズは履かない。
 前からその店で勤務につくルミたちが彼女と話をすると、その七瀬さんは今売り出し中の「お笑い芸人」の「彼女」なのだという。実は七瀬さんはその芸人と同郷で(というか、その店の近くなのだが)、まだ学生の頃、その「お笑い芸人」が川の上流で流してしまった彼の「運動靴」を川の下流で拾い上げ、そこに彼の名が書かれていたことから、ずっと時が経ったあと、そのことをきっかけに付き合い始めたのだという。それでルミたちは、七瀬さんとその芸人の「恋」の進行状況を、いっつも聞くのである。

 あるとき、テレビでその芸人が持っていたケータイ電話を川に落としたという話をしたもので、七瀬さんはそれから毎日その川の下流に行き、川に流された彼のケータイを探すのである。そして、「ルミたち」同僚は、七瀬さんを応援して、いつも七瀬さんの「川ざらえ」を対岸から見て「応援」するのである。
 しかし、その職場に新しく入った「新人」は、七瀬さんが東京に行ってその芸人とデートしているはずの時間、七瀬さんがずっと駅前のベンチにすわって、ハトにえさをやっていたのを見た、というのである。
 おそらく、近々七瀬さんと「芸人」は婚約するはず、というとき、その芸人は別の女性との婚約発表をするのであ~る。

 まあストレートに「七瀬さんの話」をそのまま信じるという読み方も否定はできないが、ここはもちろん話自体が七瀬さんの「虚言」ではあるし、「ルミたち」同僚はそのことをさいしょっから承知の上で、七瀬さんをからかっているわけだろう。
 そこで、正直な反応をしてしまう「新人」の存在が面白いし、何と言っても、この作品で「ルミたち」とくくって表現されてしまう同僚たちの、その書かれ方が面白いのである。


 「チズさん」

 文庫本でも20ページもない掌篇だけれども、「ひとり暮らしの老女」のことを描いているということで、この後の今村夏子の作品の中での「位置」が考えられる作品。

 「語り手」(女性だろう)は、近所の一人暮らしの「チズさん」宅の家の鍵の置き場を知り、家に上がるようになってチズさんと知り合う。おそらくはふだんヘルパーの方が通ってチズさんの生活を助けているのだろうけれども、語り手はチズさんといっしょに近所のスーパーに買い物に行ったりする。どうもチズさんはかなり体が不自由なようで、歩くのも遅いし、まっすぐに立てないようだ。

 ところがある日、語り手がチズさんの家でチズさんといっしょにいると、家の前に車がやって来て、チズさんの息子家族が家に入って来るのだ。語り手はとっさにトイレに隠れ、スキをみて外に逃げ出すのだが、そのときにチズさんが「シャキッ」と直立しているのを見てショックを受けるのだ。

 ‥‥この「語り手」とはナニモノなのか。まさに「闖入者」ではあるだろうけれども、この人物にも、今村夏子の「創作の秘密」が包まれているようではある。やはり「不穏」である。