ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『たぶん悪魔が』(1977) ロベール・ブレッソン:脚本・監督

    

 映画はいきなり、若者たちが集まる討論集会のような場面から始まり、まるでこの映画より10年近く前の「五月革命」みたいな雰囲気。若者たちの政治意識がテーマになっているようでもあって、まさかブレッソンがこんな政治的映画を撮るとは思わなかったし、これではゴダールの『男性・女性』とかを思い出してしまう。
 さらに映画は、ニュース映像や二次資料を使いながらも「環境破壊」「公害」の問題も取り上げられる(「水俣病」の映像も流される)。

 しかし映画はそのような状況を描くのではなく、そんな集会に参加したりしても虚無的な気分を振り払えない、シャルルという若者が主人公であり、シャルルの周辺の二人の女性、そして男性たちとのやりとりから映画は進行する。
 映画の冒頭で、シャルルの「自殺」または「他殺?」という新聞記事がアップで写されるので、さいごにはシャルルは死ぬことが了解されているのだけれども、その「死」までの過程が丁寧に描かれる。

 そういうところでは、しばらく前に観た『やさしい女』もまた、映画の冒頭でヒロインの死は示されていたわけで、同じような展開だったともいえる。
 また、わたしの観たブレッソンの作品を振り返っても、『ジャンヌ・ダルク裁判』『バルタザールどこへ行く』『少女ムシェット』と、いずれも主人公の「死」への道程を描いた作品ばかりだとも思えてしまう(『バルタザールどこへ行く』の主人公は、人間ではない「ロバ」だけれども)。

 しかし観終えて、シャルル(美青年である!)と対話したりする女性、シャルルの友人らとのやりとりからも、一種「厭世主義」をめぐっての展開とはいえ、やっぱり『男性・女性』を思い出してしまうのだった。

 重たい作品だった。もう一度観たい。