ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-06-10(Fri)

 昨日は、ニェネントくんは嘔吐をしなかった。喜ばしい。それでも忘れないように、この朝はニェネントくんのブラッシングをしてあげる。
 いつもわたしと「ソーシャル・ディスタンス」を保つニェネントくんをつかまえるのはむずかしいのだけれども、わたしのそばでゴロリと横になっているところを急襲し、「にゃあお!」となくのをお構いなしにひざの上に乗せ、せっせとブラッシングした。
 ‥‥すっごい量の抜け毛である。よくもまあ、これだけ毛が抜けて「ハゲ」にならないものだと思う。
 ニェネントの体毛は、白とこげ茶のブチなものだから、ブラッシングして抜けた毛は、そんな白とこげ茶がまざり合って、しっかりグレー色の、「ゴミ」のような色合いではある。これがしっかり白猫だったり黒猫だったりしたら、もうちょっと「ゴミ」という感じでもないだろうに、とは思う。

 ブラッシングしているあいだ、ニェネントくんは「にゃあお~、にゃあお~」となきつづけているのだけれども、「もういいか」とブラッシングをやめても、ニェネントはわたしのそばから逃げて行かず、逆に自分のからだの向きを変えて、まだわたしのひざもとでじっとしていて、さらに「にゃあお~ん」とかなくのである。
 これは、「気もちよかったから、今度はこっち側からやってちょうだい!」という「催促」なのである。そうか、そんなに気に入ったのかと、またしばらくブラッシングしてあげる。やってもやっても毛は抜ける。きりがない。
 仕事にも出なければならないから、いいかげんなところで切り上げて家を出た。「こんどまたやってあげるね~」。

 今日は夜までは雨の心配はないようだけれども、空はしっかり曇っている。
 駅の近くまで来たところで、わたしの歩く道の先に、一羽の小鳥が降り立ってうろちょろする。わたしは「スズメ」だと思って写真を撮ったのだけれども、帰宅してからこの写真をチェックしたら、この鳥は「スズメ」ではなくって「ヒバリ」だったようだ。
 ちょこちょこ動き回るものだから、かなりピンボケになってしまったけれども、色合いはスズメに似ているとはいえ、特におつむに逆立ったパンキッシュな毛並みがカッコいい。

     

 ヒバリというのは、スズメのようにありふれた鳥のように思うけれども、実はじっさいにはこうやって近くで目にする機会はあんまりない。わたしもヒバリの写真を撮るのは初めて。
 ただ、歩いていて、空の上でいっぱい羽ばたいている小鳥を見ると、「あれはヒバリではないか」とは思ったりする。ヒバリ以外の、スズメやヒヨドリ、ツバメなんかの鳥たちは、「滑空」するというか、空を飛んでいるのは「別の場所へ移動するため」という感じで、直線的に飛んで行くのだけれども、ヒバリはそんな空の空間に、一所懸命とどまろうと羽ばたいて、じっさいに、空中でも同じところにしばらくとどまっていたりする。
 けっこう今では、そんなヒバリの数も少なくなっているらしく、この千葉県でも「一般保護生物」に指定されているという。
 ヒバリは英語では「Lark」で、イギリスの古いフォークソングでも、そんなヒバリ(Lark)のことを歌った歌は数多い。わたしの好きな曲もある。

 今日は仕事場の近くの芝生で、スズメにも出会った。まあスズメに出会うのは今は毎朝のことだけれども、この朝出会ったスズメは、わたしが近づいても逃げて行こうとせず、しっかりとカメラのピントを合わせることもできた。

     

     

 写真を見るとクチバシのつけ根が黄色いし、あまり人を警戒していないところからも、この春に生まれたばかりの幼鳥だろうと思う。先日見かけた幼鳥と同じ個体だったかもしれない。しっかりと成長してもらいたいものだ。

 この日はいちど帰宅したあと、となり駅の映画館でこの日まで上映されている、ロベール・ブレッソン監督の『たぶん悪魔が』をやはり観ておこうと、夕方から出かけるのだった。

       

 映画のことは別に書くとして、映画館を出ると弱い雨が降っていた。時間はもう7時半を過ぎていて、もう真っ暗なのだけれども、自宅駅の跨線橋の上から見た空には、こんな遅い時間でも、まだ少し明るみが残っていた。考えてみたら、もう「夏至」も近いのだった。