ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『星の子』(2020) 今村夏子:原作 大森立嗣:脚本・監督

 主人公の林ちひろは、生誕時にかなりひどい湿疹(アトピー?)で、両親は「何とかならないか」と苦心苦労し、結果として新興宗教に頼ることになり、同時にちひろの病状は改善される(このこと、ウチの娘も長いことアトピーが大変だったので「ひとごと」ではなかったし、いろいろ病院に通いながらも成長し、いつしか改善されたときには、ほんとうに心の底からうれしかったし、この両親の気もちはすっごいわかる)。

 特にその新興宗教が通販する「金星のめぐみ」という「水」への両親の「入れ込み」は尋常ではなく、タオルにその水を浸して頭の上にのせて生活する。
 ちひろの姉はそんな両親の「あきれた」暮らしにうんざりし、ちひろが中三になったとき(この映画の中心時制)では家出してしまっている。

 林家の親戚の雄三おじさんは、そんな林家両親を新興宗教から離脱させようとし、ちひろが高校に進学したら自分の家に引き取ってそこから通学させようとか画策している。ちひろもそんな雄三おじさんの考えはわかっているのだけれども、姉のように親を捨てようなどとは思っていなくて、さいごには雄三おじさんから距離を置くのだろう。

 ちひろはけっこう「普通」に成長していて、中学でそれなりに親しい友だちもいるし、数学の南先生がエドワード・ファーロングに似ているとあこがれていたりする(数学の授業中は南先生の似顔絵ばかり描いている)。
 しかし、卒業文集の編集で友だちと下校が遅くなってしまったとき、その南先生に友だちと車で送ってもらい、そのとき自宅前で両親が奇妙な「儀式(?)」を行っているところを見られてしまう(緑のトレーナーを着て、頭の上の白いタオルに「金星のめぐみ」水をかけ合うわけで、友だちには「カッパみたいだ」と言われてしまう)。まあ友だちは、ちひろの両親が「あんな風なんだ」ということは了解してるのだが、南先生はある機会に学校の教室で、ちひろがいつも自分の似顔絵を描いていることを責め、ちひろの両親が新興宗教の信者であることを誹謗する。
 それでもそのあと、ちひろは両親といっしょに、その新興宗教の合同キャンプに出かけ、山の中で家族三人すわって夜空を見上げ、流れ星が流れるのを見ようとするのだった‥‥。

 おそらくは、ちひろは両親の信じる宗教を信じてはいない。でも、姉のようにそんな両親から「距離」を取ろうとは思っていないようだ。そんなちひろを救っているのは、学校の友だちらではないかと思えるところもある。

 こうやってストーリーを乱暴に要約すると、けっこう深刻な「つらい話」ではないかと思われてしまうかもしれないが、実は観ていてけっこう、何度も爆笑してしまうような映画でもある。

 わたしが大好きな、その今村夏子のデビュー作にして「傑作」、『こちらあみ子』も、やはり読んでいて笑ってしまう場面もいろいろあったのだが、けっきょく、この『星の子』と共通して、ものすごくじわじわと、壊れてしまいそうな「家族」というものがあって、まあ『こちらあみ子』ではあみ子は両親からはじき出されてしまう、ともいえるのだけれども、この『星の子』では、ちひろはどこかギリギリのところで父と母を慕っている。それがこの美しい(?)ラストになるのだろう。

 映画として、その南先生が教室で皆の前でちひろを責めてしまい、そのあとに「これはちひろは泣くよね」というところでかなり長い「長回し」の演出があり、涙するちひろのところに友だち二人が寄って来ての顛末が、この映画の相当な「見どころ」になっていて見惚れたし、そこで画面が切り替わったあとの、ちひろの「さばさば」とした友だちとのやりとりこそが、この映画の「キモ」だったように思う。
 まあわたしは原作小説のことはほぼ忘れてしまっているので、このあとにもう一度原作を読んで確認したいというか、そこでこの映画のことももっと理解できるだろう。

 けっこう、「ドリー撮影」というか、特に中学校内での廊下の移動撮影とかは印象的で、いい絵もいろいろあったと思うのだけれども、具体的には書かないが「これはダメだね」という画面もけっこうあった。いい映画だけに、もったいないことだった。

 林ちひろを演じた主演は、「名子役」として評判の高かった芦田愛菜で、たしかにとってもよかった。特にラストの、家族三人の真ん中で夜空を見上げる表情は素晴らし!
 「お父さん」役が永瀬正敏だということはわかっていたが、「お母さん」役が原田知世だったということは、映画が終わるまでわからなかった!