ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ヴェネツィアで消えた男』パトリシア・ハイスミス:著 富永和子:訳

 イタリア(ヴェネツィア)が舞台である(タイトルでわかるって!)。主人公のレイはアメリカの裕福な家庭の生まれで、将来画廊と持ちたいとヨーロッパの作家(画家)を探るつもりでイタリアに来ている。ちなみに、彼は30歳。
 先に書いてしまうと、「ある事件」からレイは姿を消してしまい、その生死もわからなくなってしまう。それでアメリカのレイの両親は彼の行方を捜索するため、私立探偵を雇ってヴェネツィアへ送り出す。
 これは、ハイスミス出世作太陽がいっぱい』のシチュエーションに似ている。
 『太陽がいっぱい』では、イタリアに行きっぱなしでアメリカへ帰国しようとしないリチャード・グリーンリーフという男を、その両親がトム・リプリーという男に頼んでアメリカへ連れ戻してほしい、ということから物語が始まるわけである。

 しかしまあ、「ちょっと似ている」とはいえども類似はそこまでで、「まったく違うよね」ということではある(アメリカから来た私立探偵は、けっきょくまるで重要な役ではない)。
 ここでレイはまず、(この作品が始まる前に)新婚の若い奥さんのペギーに自殺されるのだ。そしてそのペギーの父親のコールマンが(彼は「画家」という設定だ)、自分の娘のペギーが自殺したのは夫のレイのせいだと決めつけ、強烈な「殺意」を抱くのだ(ペギーは21歳だったらしい)。それでついにコールマンは、夜中にレイと同乗したボートから、レイを海に突き落とすのである。
 レイは、ヴェネツィアの運河で夜に荷運びするゴンドラの船主に助けられるのだが、そのまま姿を隠して「行方不明」となる。
 レイやコールマンの周辺では、「コールマンがレイを殺したのでは?」という流言も流れる。
 どうやらレイは、自分を殺そうとしたコールマンの反応をみたかったようではある。わざとのようにコールマンの近くで姿を見せ、コールマンを挑発(?)する。
 コールマンの方はレイが生きていることを確信し、彼を探して「今度こそ」彼を殺そうとする。その機会が訪れ、やはり夜中に埠頭で二人は対峙し、双方共に重傷を負うが、それを機会にまたレイがおおやけに姿をあらわすのと反対に、今度はコールマンが姿を消し、「コールマンは死んだのではないか?」ということにもなる。つまり逆に、「レイがコールマンを殺した?」ということにもなる。

 ‥‥ま、それでいろいろあるのだけれども、読んだ感じではどうも「ハイスミス」らしくないというか、ハイスミス作品を特徴づけるような、「ノーマルではない(言い換えれば「歪んだ」)」精神の持ち主が不在というか、そういうところでみ~んな「ノーマル」といえば「ノーマル」。レイにせよコールマンにせよ、いちどは自分の姿を隠すとはいえ、その行為が他のハイスミス作品のように「ねじれ」を生むわけではない。
 特にレイの場合、ゴンドラに救われたあと、そんなヴェネツィアで暮らす現地の人々の「善意」に助けられもし、なんだか「ヴェネツィアはいい人ばっかし!」みたいな展開。まあ姿を消したコールマンも似たり寄ったりのことをやるわけだ。
 あとはレイとコールマンを共に知るところの、コールマンの「愛人」らしいイネズという女性の存在が、この作品の「キー」になるのではないかと思ったが、ハイスミスはこの「イネズ」という存在の造形に、みごとに失敗してしまったと思う(同じく、「コールマン」という存在についても、まるで書き足りていないと思う)。

 この作品、ハイスミスらしくもなく、「善意」の対局には何があるのか、ということを書かなかったのか書き損ねたのか、ハイスミスらしい「ひねくれた」構成が見られなかったのは残念。
 ハイスミスには珍しい「失敗作」、と言っていいのではないかと思う。