ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『サスペンス小説の書き方 パトリシア・ハイスミスの創作講座』パトリシア・ハイスミス:著 坪野圭介:訳

 原題は「Plotting and Writing Suspence Fiction」で、さいしょにこの本が刊行されたのは1966年のことらしく、パトリシア・ハイスミスのキャリアとしては『ガラスの独房』(1964)、『殺人者の烙印』(1965)などの刊行後、というあたりで書かれた本。彼女の書誌情報をみると、この時点でまだ短篇集は一冊も刊行していないというのは意外だったが。
 しかし第一版刊行後に時を経て、ハイスミスはこの本に大幅な加筆して、この「最終版」を再版しているわけで、じっさい、1966年以降の彼女の作品への言及も多い。訳者による解説では、この本の翻訳は2015年のものを使っているように書かれているが、奥付には(Copyright © 1993)とあるので、ハイスミスの晩年、その生前にこの「決定稿」は刊行されたのだろう。

 わたしは実のところ長いことパトリシア・ハイスミスの大ファンであり、例によって記憶力の問題でその内容をもうおぼえていない作品もあるが、彼女の死後刊行された未発表短篇集と『ヴェネツィアで消えた男』という長篇以外、そのすべての邦訳作品は読んでいるし、今はまた2回目、3回目に読み返そうとしているさいちゅうではあるし、『ヴェネツィアで消えた男』だって入手してあって、次に読むつもりである。

 わたしがハイスミス作品を愛好するのは、彼女の作品の中ではけっこうありふれた「日常」というものがどこかでずれ、それが「暴力」による解決を求められるという、「日常の歪み」ということが大きな(隠された)テーマになっていると思うからで、ハイスミスは「サスペンス作家」としてこの本も書いているけれども、時に彼女の作品は「サスペンス」ではない、つまりは「純文学」だろうというようなものも多い。
 例えば、わたしの考えではハイスミスの最高傑作である『変身の恐怖』では、そもそも主人公の体験する「事件」というもの自体が「うやむや」にされてしまうという、まさに「日常の歪み」こそをテーマにした作品だったし、『イーディスの日記』もまったく「犯罪」とは無縁の作品だった。

 そういう、パトリシア・ハイスミスの「創作の秘密」をこそ知りたいという気もちもあってこの本を読んだのだけれども、思いがけずも彼女の「肉声」に触れたという感覚もあり、「ひとりの作家が自分の作品を書き上げるまでの日常」をエッセイとしてまとめた好書だとも思った。

 ひとつの作品を書くために、その構成を考えることから「プロットを立てる」~「第一稿」~「行き詰まり」~「第二稿」~「改稿」と順を追って自分の体験を語るところなど、それ自体がハイスミス作品の「日常の歪み」にならうような展開になっているようで、興味深くもとても面白く読んだ。

 この本の中で、彼女の作品『ガラスの独房』について、かなり克明にその構成を語り、執筆過程を書いている章は、じっさいに『ガラスの独房』を読んだ体験からも興味津々だったけど、まあこの本を読んだらば誰だってその『ガラスの独房』を読んでみたくなりそうだ。それで、「Amazonとかでこの本を買おうとしたらどうなってるかな?」とチェックしてみると、なんと、中古マーケットプレイス(「当然」のように、今は絶版になっている)で1万円以上の価格がついていて、ちょっと笑ってしまった。一挙にこの本は、わたしの持っている本でいちばんの「高値」の本になってしまった!

 その他のことで書けば、ハイスミス自身が『生者たちのゲーム』は「失敗作」だったと書いていて、わたしの読んだ感覚からしても「ああ、やっぱりそうだったか!」とは思ったのだった。しかし、『生者たちのゲーム』には別の、「実存主義」的な登場人物間の対話があったりして、わたしはそっちの方で面白く読んだ本だったが。