ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-05-05(Thu)

 大連休の第2部も、この日でおしまい。あとは明日仕事に出たらまた2日間の連休があって、それで「おしまい」だ。なんか「たっぷり休んだなあ」という感覚もあるけれども、それは飼い慣らされた家畜の意識でもあろう。
 まあまだわたしは労働時間とか、現状はたいていの人より恵まれているところはあるだろうが、1日に基本8時間労働し、そこからはみ出て「残業」が日常化している方々とわたしとの感覚は、同じではないだろうな。わたしだって年齢的には「引退・隠居」して、悠然と余生を楽しんでいていいはずなのだけれども。

 昨日はすっごい久しぶりに新宿に出かけたりして、今日は「疲れましたね」って感じで、ウチでゆっくり休息の「安息日」。
 でも実は今朝から体調は万全、「元気そのもの」で、そういうのではじっさいには昨日の午前中、新宿へと向かう電車の中での体調が「最悪」ではあった。「こんなにフラフラでは車中で倒れてしまい、救急搬送されるのではないか?」と思ったぐらいだったが、新宿に着いてみたらすっかり元気を取り戻し、『ZAPPA』の映画を観たあとは、普段よりずっと「元気」になっていたのだ。さすがにフランク・ザッパ様の威力には偉大なものがおわせられるというか、「霊験あらたか」なのだった(「宗教」かよ!)。

 今日もまたまたいい天気で、この大連休の「中盤」は天候に恵まれたものだと思う。あちこちの行楽地にも観光客があふれたようで、ついに「COVID-19」禍も終幕なのか?というところでもある。

 わたしは午前中に北のスーパーへ買い物に出て、これがこの日唯一の「外出」になった。
 うれしかったのは、そのスーパーへの道の途中、道沿いの建物にツバメが巣づくりをしていて、そのそばにツバメのカップルの姿を見られたこと。

     

     

     

 わたしが撮影しようとして「巣」に近づいても、巣の上に居座ったままわたしを睨みつけるだけで、逃げて行こうとはしないのだ。あくまでも自分たちの「巣」、そして自分たちの「雛」を守ることが第一、なのだろう。「ブレイヴ」である。

 この日はテレビばかり見て過ごした感じだが、朝は『香川照之の「昆虫すごいぜ!」』で、この回は「ギフチョウ」だった。巡り合えることも稀な「珍しい蝶」というあやふやな知識はあったけど、「時と場所」を正しく選択すれば、何羽もの「ギフチョウ」に出会えるのだ。しかし美しい、「ナボコフ」的な蝶だと思った。

 今の報道では、3年前に山梨県のキャンプ場で7歳の少女が行方不明になった地域で、まずは「子どもの頭部の骨」らしいものが発見され、その後「靴」や「靴下」が見つかったというのが、新しいニュースで別の「骨」、そして子供サイズの衣類も見つかったということ。
 まだ断定されてはいないけれども、ほぼ間違いなく、その3年前から行方不明になっている少女のものなのだろう。
 この「事件」は、その3年前からさまざまな憶測、「誹謗中傷」を呼んだ事象だった。
 まだ「何が起きたのか」解明されたわけではなく、ここでまたわたしが「憶測」を書けば、わたしもまたネット空間の「バカ」のひとりになってしまうが、わたし自身が幼い頃(8~9歳の頃)に「迷子」になった体験を思い出して、この少女が当時「迷子」になったという「仮定」を理解出来る気がする。
 わたしはこの「事件」のように「キャンプ地」のような山間で迷子になったのではなく、まったく平地の「町なか」(しかも自分の住んでいた町)で迷ってしまったのだけれども、ただひとりで町を歩いていて「どこか見たことのない風景だ」と思いながらも、「このまま歩き続ければきっと、知っているところに出ることだろう」とは思っていたし、「いちど引き返してみよう」などとはまるっきし考えなかった。
 この「事件」の彼女の場合は、そもそもまるで見知らぬ「キャンプ地」でのことだったから、「歩き続ければ知っているところに出るだろう」ということはあてはまらないだろうけれども、「引き返す」よりは、「このまま歩けば誰かに出会うだろう」という意識が強かったように思う。

 わたしは今でも、その「生涯一度」の「迷子体験」のことをかなりしっかりと記憶しているのだけれども、そのとき、わたしには「この道はおかしい?」とか思いながらも、「ただ前に進むこと」だけが自分の「救い」になると思っていた。
 わたしの場合、そのうち日も暮れかかり、歩いていて出会った近くにいた人に、「〇〇(わたしの住まいの住所)はどっちですか?」と聞き、それがまったく逆方向というか相当遠い距離だと知ったその人が、警察に知らせてくれたのだった。それはあとで知って、まさに市の中心からウチから逆方向、4キロぐらいは離れたところだった。

 何が言いたいかというと、この山梨県の「事件」がじっさいには「どういうこと」だったかわからないとはいえ、道に迷ってしまった子どもというのは、「その場で助けが来るのを待つ」とか「今来た道を引き返す」などということはせず、どんなに険しい道だろうが、「ただひたすら先に進む」のではないかと思う。さらに、「道に迷えば高いところに上がろうとするだろう」という意見にも同意するところはある。
 だからわたしはずっと、「事件」だと書いてきたけれども、じっさいには不幸な「事故」だったのではなかったか、とは思っている。
 それで今までの丹念な捜索でそんな「骨」も「靴・衣服」が発見されなかったことをどうこう言う意見もあるみたいだけれども、ただ漠然と「探そう」とするものは、見つからないものなのだ。それは誰のせいでもないだろう。
 わたしもこうやって「余計なこと」を書いているが、憶測であまり「余計なこと」は発言しない方がいいのだ。

 夜、ニェネントくんが壮大にゲロを吐いてしまった。心配だ。わたしも、体温を測ると36度9分あった。ちょっと心配だ。
 夜中には、ニェネントくんもいつものようにわたしのベッドの上に跳び乗って来たので、とりあえずは安心しているが。