ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-05-02(Mon)

 今日は仕事である。まず心配なのは昨日書いたようにわたしの「体調」「体温」なのだが、まず朝起きても体調も悪くなく、元気ではある。体温を測ると36度1分だった。これは平熱。まるで問題ないだろう。とりあえずホッとして、出勤の準備をする。

 気温はちょっと低く、ジャケットを着て仕事に出た。空は晴れていてずいぶんと明るくなったが、まだまだちょっと薄暗い。月が見えるかと空を探したが、もうどこにも月は見えなかった。
 駅に近くまで来て振り返ると、国道の向こうの空が朝焼けで赤く染まり、日の出も近いのだった。

     

 今日は連休の合い間の「平日」で、今日もだいたい、出勤のときに電車で毎朝お顔を見る「なじみ」の方々の姿が見かけられたけれども、やはりいつもよりも若干電車は空いていたようだった。
 勤務地の駅に着いて外を歩くが、鳥たちも連休だったりして、今朝はスズメとかの姿もまるで見かけなかった。

 仕事も「半分休み」みたいなもので、まったくヒマではあった。
 仕事を終えて、病院へ行って予約してあった「胃カメラ検査」を受けるつもり。喉にモノが引っかかるような感覚があり、夜に咳き込んだりしたものだから、2週間ほど前に同じ病院の耳鼻咽喉科で診察を受けたのだが、「喉」に異常はなく、念のため喉の奥の方の検査をしましょうか、ということで今日の通院になったのだが、その内科(呼吸科)の医師のところへ行くと、今日はすぐに胃カメラ検査をやるのではなく、「いつ胃カメラ検査を行うか」という予約をするだけだった。まあ考えれば「胃カメラ検査」の日は朝から絶食とかするわけだ。
 今はもうほとんど喉の調子も良くなっているのだけれども、まだ多少は違和感もないではないので、「あとであのときちゃんと検査を受けておけば」などとなるのもイヤなので検査を受けることにし、10日後にまた通院することになった。その日は朝から絶食。

 帰りは「ふるさと公園」を抜けて帰る。昨日は公園に行けなかったので、もうコブハクチョウは「孵化」してしまったのではないかとも思う。
 「ふるさと公園」に着き、コブハクチョウの営巣しているところに行ってみると、三脚でカメラを構えた方がコブハクチョウの方にカメラを向けておられた。
 「孵化したんですか?」と聞いたら、「ええ、でも雛の姿はなかなか見えないです」ということだった。そうか、ようやっと孵化したのか。

     

 巣ごもりしているコブハクチョウのそばには、そのカップルだろうもう一羽のコブハクチョウも来ていて、「これからいっしょに子育てしましょう」と待機しているのだった。

     

 さて、今年は何羽の雛が孵化したのだろうか。通常コブハクチョウは数羽の雛を産むというけれども、このあたりではコブハクチョウが増加しすぎているわけでもあり、手賀沼の鳥類研究所(又は市役所)の方が産まれた卵を間引いておられる。それで去年は3羽の雛が孵化したけれども、おそらくは今年もそのくらいの数なのだろうか。

 帰宅してからは、読んでいたパトリシア・ハイスミスの『扉の向こう側』を、がんばって読み終えた。

 天気予報でもこの夕方は天気が崩れると言っていたのだけれども、じっさいに日暮れ近くになって激しい雨が降ってきた。出かけたりしてなくてよかったが、そのうちに大きな雷鳴が部屋の中にも響いてきた。ちょうどそばにいたニェネントと顔を見合わせてしまい、ニェネントは「何?何?」という表情をする。
 これが「かみなり」がいくつもつづくと、ニェネントくんはパニックになって押入れの奥とかに逃げ込んでしまうのだけれども、この日の「かみなり」はその1発だけで終わった。

 ニェネントくんがこの家で生活していて怖い思いをするのはその「かみなり」もだけれども、彼女がいっちばん怖いのは「花火」である。それがこのあたりは夏に「手賀沼花火大会」というのがあり、これが手賀沼の東と西で競い合うように花火を打ち上げるわけで、ウチはそのあいだになって、右からも左からもステレオ状態で花火の打ち上げ音が響いてくるのだ。ニェネントにとって「右往左往」とはこのことで、すっかりおびえてしまう。
 それで「COVID-19」禍以降、人の密集を避けて去年一昨年とその「花火大会」は中止になって、わたし的にはホッとしていた。 さてそれで、始まった今年のゴールデンウィークは、3年ぶりに「行動制限」のない連休になったといい、そういうことでは今年は「手賀沼花火大会」も開催されるのだろうかと思っていたのだが、先週の市のホームページに発表があり、今年も引きつづいて「中止」ということになったのだった。
 こう言ってしまっては、花火大会を楽しみにしておられる方々には申し訳ないのだが、正直ニェネントくんの身になって、「よかったよかった」とは思ったのだった。