ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-04-13(Wed)

 先週から、日ごとに日中の気温も上がりつづけ、昨日はついに、この冬にずっと着つづけていたパーカー・ジャケットを着るのをやめて、もっと春っぽいジャケットで仕事に出たのだったけれども、今日はそんな昨日よりももっと暖かく(暑く)なるという予報。「それでは」と、長袖のTシャツの上にシャツを羽織っただけの、5月下旬とか6月ぐらいの服装で家を出た。
 朝起きたときから気温も低くない感じで、そんな服装でまだ暗い戸外に出ても、「ちょっと薄着すぎたかな?」などということでもなかったし、昼間の仕事を終えての帰りも、そんな服装でもまだ暑いぐらいだった。帰宅してテレビを見ると、東京での最高気温は24度に近かったと言っていた。わたしの感覚ではもっと暑かったように思っていたが。
 しかし明日には雨になり、このあたりの気温は今日よりも一気に10度ぐらい低くなるという。体調維持が大変か。

 今朝もスズメたち。このところ歩いた感じで、おそらく最低3組のカップルが、勤務先周辺で「巣づくり」を目指しているのではないかと思う。今朝は最近には珍らしく、そんなカップルが芝生の脇に降りて来て、散策(?)している姿が見られた。食べ物を探していたのだろうか?

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 こちらはこのあたりでいちばん進展しているカップル。この朝も一羽しか撮影出来なかったけれども、ボックスの穴の中にさらに枯れ草が詰め込まれ、「巣づくり」も順調に進行している感じだ。

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 仕事の帰りは「野良ネコ通り」。まずは、家の駐車スペースの奥で寝ている「ミケ」の下半身が見られた。

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 そして、最近はいつも「ハナクロ」くんが寝ているスペースで、この日は久しぶりに「ヒゲ殿下」が寝ていたのだった。「ヒゲ殿下」の、元気な姿を見られてうれしい日だった。

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 この日は実は帰りの電車のダイヤが乱れ、いつものようにまっすぐ帰れなかった。いつも乗る千代田線の電車は千代田線の終点駅で止まってしまい、その先の常磐線に進むには乗り換えなければならなくなった。
 それで、この駅で途中下車してみて、先日乗換駅にあったのに閉店してしまった書店の、その同系列チェーン店がこの駅のそばのスーパーのあるビルにあるはずなので、行ってみることにしたのだ。

 その書店のあるビルは駅の改札のすぐ近くで、「場合によっては、これからはこの書店で本を買うようにしてもいい」という気もちを持ちながら、そのビルの4階の書店へ行ってみた。
 4階フロアの半分ぐらいを占めた、書店としては中規模の書店だろうと思ったが、ぐるりと店内を見てまわって、正直「あんまりがんばってる書店でもないかな」という印象を受けた。
 例えば、わたしで言えば本屋に行ってまず見るのは「海外文学」のコーナーなのだけれども、このコーナーを見ると、如実にその書店の姿勢が見えてくると思う。その書店として独自に「これを推したい」というのがあるのか、ただ取次ぎから送られて来る本を並べているだけなのかというのが、すぐにわかる。
 そしてあとは「文庫本」。このくらいの規模の書店であれば、いちおう岩波文庫を含めてたいていの出版社の文庫を並べているわけだけれども、まあ(返品の効かない)岩波文庫の棚を見てみれば、その書店の「やる気」がわかる。
 この書店は「ダメ」である。岩波文庫のコーナーに20冊ぐらい並んでいるのだけれども、どうみても過去に発注をまちがえて仕入れてしまったような、極めてマイナーなモノだけが並んでいた。これは単にその書店の「不良在庫」を、返品が効かないからというので並べているだけである。これなら「岩波文庫」コーナーなど、取っ払ってしまった方がよほどスッキリする。まあ「いちばんダメなタイプの書店」と言える。
 ついでに言えば、その文庫コーナーでも「書店のヤル気」がわかるのが、「光文社古典新訳文庫」でもあるのだが、この書店はこちらも酷かった。
 前の乗換駅改札そばにあったチェーン店が、圧倒的に狭い店舗面積のなかでしっかりと「書店」としての主張をし、客に「こんな本もある」というのを見せてくれていたのに比べてあまりに情けない構成で、すっかりガッカリしてしまった。気に入っていた乗換駅の店舗が閉店してしまったことが、あらためて残念に思えた(このチェーン店は、もうひとつ手前の駅にも支店があるようなので、機会があれば行ってみようとは思う)。

 さてこの日から、今まで読んでいたナボコフの『ロシア文学講義』と大岡昇平の『成城だより』を中断して、パトリシア・ハイスミスの『水の墓碑銘』の再読を始めた。これも「Amazon Prime Video」で配信されている、『水の墓碑銘』を映画化したというエイドリアン・ライン監督の『底知れぬ愛の闇』を観たいがためなのだが。
 わたしとしてはこの小説はけっこう記憶しているつもりだったけれども、ただ、その結末が思い出せない。主人公の犯行はバレてしまったのだったか、けっきょく犯罪自体が発覚しないまま無事に(?)終わったのだったのか。
 ハイスミスは世間一般のモラルなどには無頓着だから、『太陽がいっぱい』のトム・リプリーのように、犯人が賢くてスマートであれば逃げおおせ、どこかでドジを踏めば露見してしまう。ドジでないヤツが勝ちおおせる世界なのだ(「たいていの人間はドジである」というのが、パトリシア・ハイスミスの世界観なのだが)。