ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『成城だよりⅡ』大岡昇平:著

 雑誌「文學界」の1982年3月号から1983年2月号まで連載されたもので、内容は1982年1月から12月までの「日記」。単純に考えて、40年前に書かれた日記だ。大岡氏はこのとき72歳から73歳だったことになる。
 雑誌のページ数の関係だろうが、2月以降は毎月だいたい14~15日まで、月半ばで終わってしまっている。それで8月などは毎日15日の終戦記念日へ向けての記述が多いにもかかわらず、その肝心の「8月15日」の日記がなくって14日で終わっていて、そこまで読んでの「はたして大岡昇平氏はこの8月15日にどのようなことを思われたのだったろうか」という気もちがはぐらかされてしまったのは残念。「雑誌発表」にこだわらずに書き残された、未発表の日記はなかったのだろうか。

 わたし的に、この「Ⅱ」でのハイライトはやはり、10月からの「堺事件」取材のための関西(京都~大阪)旅行の日記で、この「綿密な」取材調査が、つまりはのちに大岡氏のさいごの作品『堺港攘夷始末』へと結実するわけである(作品としては「あと一歩」のところで未完に終わったようだが)。
 もちろん、そこまでの大岡氏の作家としての実績、名声、地位によってこそ可能であった「取材、調査」ではあっただろうけれども、「事実を突き止めよう」とする大岡氏の強烈な意欲がこの日記をつらぬき、それはこの『成城だより』全体の大岡氏の根本姿勢でもあり、わたしのような「なまけもの」でも読んで感化されるところが大きかった。
 こういう、開国前後の日本の事象、事件(というか、日本史全般)にトンと無関心なわたしだけれども、その大岡氏の『堺港攘夷始末』は猛烈に読んでみたくなったのは確かなことで、次に読む文庫本はこの本にしようかと思うのだった。

 12月には、ベルトリッチ監督の5時間を超える作品『1900年』を有楽町スバル座に観に行かれる。若い女性客が多いことに、「イタリア映画は、ヤングの間に客固定しあり」との認識。今はイタリア映画など輸入もされないのではないのか。この映画鑑賞で大岡氏は腰の具合を悪くされたようで、「ご愁傷さま」。

 その他にも、レズビアンの歴史の考察から、「強姦」ということへの考察など、「さすが大岡氏」という、時代を越えた柔軟な精神を垣間見せて下さるし、スタンダール作品への言及、『家畜人ヤプー』の作者についての言及など、「文学者」としてのフィールドの広さをみせて下さる。
 この年の日記の終わりの方で、「六十五年を読書にすごせし、わが一生、本の終焉と共に終らんとす。わが青春は『雄弁』時代の終りと接続す。有名人の講演会に行ったことなく、一人にて読書黙思す。(‥略‥)あまり悪くない一生を送ったような気がして来た」との記述があり、(生意気ながら)すっごいシンパシーを抱いた。あとは、何度も行われた埴谷雄高氏との対談のこと、埴谷雄高氏が人に口をはさませずに独演会を繰り返すという。大岡氏も埴谷氏のスキをみて、自分も独演会をやるのだと。このお二人は同年なのだな。仲がよろしかったようで。

 ただ、前の巻で「白内障手術」後、不自由しているとの記述があって、そのときから自分自身の先日の白内障手術の体験から「それはおかしいのではないか?」とは思っていたのだけれども、この巻で別の眼科医に「手術は失敗している」と言われたとの記述。「やっぱりね~」って感じだった。