ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ザ・マスター』(2012) ポール・トーマス・アンダーソン:脚本・監督

 この作品にはちょっとまいった。そもそも、登場人物の誰にも感情移入しようがないというか、誰もがみんな「クソ」であるという感覚。
 主人公はいちおうフレディ・クエル(ホアキン・フェニックス)だが、少なくとも映画が始まって2時間はずっと「アホ」であり、ぶっ飛んではいるが、その精神は「凡庸」だとしか見えない。第二次世界大戦の復員兵で(この映画の基本の時制は1950年である)、PTSDの治療も受けるがアルコール依存症のようであり、だいたい「ロールシャッハテスト」を受けても、何もかも女性か男性の性器に見えてしまう男である。それで復帰した職場でもケンカ沙汰は起こすし、自分でこさえたアルコール飲料を飲んだ男が死亡し、「毒を飲ませた」として人々に追われて船に逃げる。
 その彼が逃げ込んだ船が「コーズ」という新興宗教みたいな団体の船で、その「コーズ」のマスター(教祖?)がランカスター・ドッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)という男。どうやらその船でフレディは例によって酔って暴れたらしいのだが、ランカスターはなぜかそのフレディに入れ込む。ランカスターによれば、フレディは「自由な精神の持ち主」らしいが(映画ではその船でフレディが暴れるシーン、ランカスターがさいしょにフレディと出会うシーンはなく、いきなり翌朝のことになる)。
 ちょうど船ではランカスターの娘のエリザベスと、クラークとの結婚式も行われるのだが、エリザベスはのちにフレディのズボンの上から股間に手を伸ばす「ビッチ」だし(エリザベスはフレディが自分に色目を使うのだという)し、クラークは特徴のない「ふぬけ」男だろう。ランカスターの息子もいるが、ランカスターとの距離とか、よくわからない。
 実はランカスターは妻のペギー(エイミー・アダムス)にけっこう支配されているようで、これまたある意味、ランカスターも「ふぬけ」なのだろう(ペギーは「ビッチ」だろうか?)。後のシーンで、公開の「自己啓発」のようなことをやるが、見ていた男から「それは催眠術じゃないか?」と攻撃されても、まともな反論が出来ずに声を荒げるだけであった(この出来事のあと、フレディはその攻撃した男のホテルの部屋へ行き、ボコボコにしてしまう。ランカスターは「そんなことはやるな」と言うが)。そしてつまり、ランカスターの周辺には「味方になる男」「ナンバー2」がいない。そういうところで、「ぶっとんでいる」フレディに惹かれたようでもあるのだが、コントロールしようとしても自分の思い通りに動かないフレディに手を焼いている。

 こういうところがこの映画の枠組みだけれども、ストーリーをずっと書いていっても、何かが解明されるというような映画でもないように思える。というか、フレディにとってはランカスターとの関係よりは、兵役に就く前に付き合っていたドリスという女性への思慕の方が大きな意味を持っていたようであり、終盤にフレディがドリスの家を訪れ、ドリスがすでに結婚して遠くへ行き、2人の子供もあると聞いて「ふっきれる」ことの方が重要だったようにも見える。

 そういうことで、何か「つかみどころのない」映画のようではあったのだけれども、それでもそれでも、この映画のラストの20分ぐらいの映像、演出にはすっかり心を奪われてしまい、「これは何という映画だろう!」と感嘆してしまうのだ。
 このときランカスターはイギリスに移っていて、フレディはランカスターからの連絡でやはりイギリスに渡り、ランカスターと会う。
 まず海。船が進む航跡の青い海が上方から俯瞰され、これは冒頭でも出てきた「海の青」である。
 そしてフレディはランカスターのいる<本部?>へ行くのだが、高い高い窓の前のデスクにすわっているランカスターはフレディに、「君がここから去るならば、わたしは君に二度と会いたくない」という。その部屋の隅にはランカスター夫人の姿も見えるから、たんじゅんにこれをランカスターひとりの意向とも考えられない。そこでランカスターはおもむろに、「On a Slow Boat to China」を歌いはじめるのだ。
 「‥‥こ、こ、こ、こんなに映画の内容にリンクする曲をここで使っちゃっていいんだろうか?」ってな感じもするのだけれども、これは「どんなに時間がかかっても、キミのことをゆっくりと口説いて何とかするよ!」という曲なのだ。もう観ていても、「つまり、ココまでの2時間の展開は、要するにココでランカスターにこの曲を歌わせるためだったのか!」みたいな気もしてしまう。
 などと思っていると、次のシーンでは海辺にひとりでいるフレディの映像になり(この映像は冒頭の兵役についていたときに自由気ままに行動するフレディを想起させられるのだが)、ここでバックに流れる音楽はなんと!「Changing Partners」なのである! 「こんな展開が許されていいのか!」というぐらいに「ベタ」というか、「まいったな!」というところである。
 この「Changing Partners」という曲は、一般にPatti Pageのシンギングで知られているのだけれども、この映画のラストで使用されるのはPatti Pageの歌ではなく、Helen Forrestという歌手のモノを使用しているのだ。そしてさらに、これはわたしの「発見」なのだが、この「Changing Partners」という曲は1954年に発表された曲なのだ。つまり、この「ラストシーン」は、それまでの「1950年」という時制から離れていて、フレディがランカスターと別れて3~4年後のことなのだ(ちなみに、ランカスターが歌った「On a Slow Boat to China」という曲は、1948年に発表された曲だから時制的に問題はない)。まあ素直に観ていても、そのさいごのフレディのシーンはランカスターと別れた後のシーンだろうとはわかるけれども、時制的に3~4年後だとわかると、ちょっとちがう。

 ちょっと、映画そのものから離れて付随的なことを書いてしまったけれども、そうではなく、このラスト20分の映像、演出はあまりに強烈で、「もうそれまで何が起きたのかなんてどうでもいいから、このラスト20分だけ繰り返して観ればいいや!」という気分になってしまうのだ。素晴らしい!
 つまりとにかくは、わたしはこの「ラスト20分」に、すっかりノックアウトされてしまったのだ。すっごい映画だと思う(あと、Johnny Greenwoodの音楽、その使い方も素晴らしかった!)。