今朝も、朝の気温は昨日ほどではないけれども低い。「4度」だといっている。そして昼間の最高気温は昨日よりも低いらしい。これからはもうずっと、最低気温は5度より低く、最高気温も15度ぐらいの日がつづくらしい。本格的に冬が始まる。
ニェネントくんは今朝は、昨日の朝のようににゃんにゃん啼いてわたしの出勤の「お見送り」をしてくれるわけでもなく、朝食を食べ終えるとさっさと和室の方に引きこもってしまった。ニェネントくんお得意の「ツンデレ」の、昨日は「デレ」の周期だったのが、今日は「ツン!」の周期になったのだろうか。気まぐれニェネントくん。
今日は歯科医の通院の日で、仕事を終えてから歯科医に行く。どうも、先日型を取ってからあとの「かみ合わせ」とかの整形に手間がかかっているようで、今日も本格的な治療は始まらない。
右側の治療の費用の概算などを聞いたのだが、けっきょく治療にはメインに1本インプラントを立て、そこからブリッジをかけるという方法にしようという話なのだが、費用は思ったよりもかなり安くすみそうだった(提示されたのは基本費用で、それプラスさまざまな通常の治療費用がかかるのだろうが)。けっきょく、まさに去年「濡れ手に泡」で手にした(というわけでもないが)「交通事故の慰謝料」プラス「コロナ禍の給付金」という額で収まりそうな。これはまさに「悪銭身に付かず」の好例であろう。まだまだ、歯科医通いは当分つづきそうだ。
帰りに自宅駅前のスーパーに立ち寄り、ここはこのところずっと、白菜を「ひと玉100円」で店頭に転がしてあって、「安いよなあ」と思っていたのだけれども、白菜ひと玉を食べ切る自信がなくってスルーしていたのを、今日はついに「白菜ひと玉」を買ってしまった。これから当分は、わたしの食卓は白菜中心に回転していくことになるだろう。
まず今日の夕食は、「白菜とウィンナのマヨネーズ炒め」とかいうヤツにトライした。わたしは炒め物にマヨネーズを使うのはホントは好きではないのだけれども、炒めると白菜から水分も出てマヨネーズの味も薄まり、イイ感じの味におさまった。
まあ白菜の基本は「鍋もの」だけれども、これからいろいろと、ひと玉全部食べ切る覚悟で、白菜を使った料理にトライしてみよう(前にも何度も白菜ひと玉全部食べちゃったことはあるが)。
帰宅するとニェネントくんがちゃんとドアのところまで「お出迎え」をしてくれていて、「ちゃんとあなたのことは気にかけているんだよ」とアピールしてくれた。
ネットでいろいろなニュースを見ていると、最近中国の動きが気味が悪い。先日見た報道では、中国当局が芸能界の統制を強化し、例えば「中性的なメイクをしたタレント」を批判するなど、つまりは文化面への口出しを強めているようだし、おそらくは国として「LGBTQ」への意識、配慮などまるで持たないのだろう。
このことは文化・風俗への国家統制路線だろうし、インターネットの国としての規制を強化していることを考えても、「中華人民共和国」が巨大な「朝鮮民主主義人民共和国」になろうとしているように思える。また今、中国政府重鎮から性的関係を迫られたということを告発していた中国の女子テニス選手、その動向が不明になっていることも世界的に問題にされている。
わたしは10年ほど前に、今の習近平が中国の国家主席になったとき、「この人物は毛沢東以来最悪の国家主席になるのではないだろうか」と思っていたのだが、どうやらその予感は的中しただろうか。
「コロナ禍」以後の世界は、どこか右傾化しているというか、国家主義的な傾向が抬頭しているようにも思えるのだけれども、そんな中でも中国の「全体主義」への傾きは、世界的視点からおぞましいものがある。
そして、そのことを日本国内からみたときに、「中国」を「共産主義」の国とみて、そのことが「共産主義アレルギー」となり、特に先日の総選挙での立憲民主党と日本共産党との共闘を「失敗」と捉える視点からも、ネットなどをみてもまさに「反共」ともいえる意見が増加していると思う。
わたしは「共産主義者」ではないが(そういう意味では、「共産主義」よりは左寄りではないかと思う)、「共産主義」が常に「全体主義」「独裁」に向かう危険性をはらんでいる以上に、「反共」という意識はもっと容易く人々の「自由」を希求する指向を抑圧し、つまりはヒトラーのナチスが「反共」だったことを思い起こしても、アメリカの「マッカーシズム」、日本の戦時下の「赤狩り」、そして「ファシズム」を想起しても、危険なものだと思っている。そしてそんな日本国内の最近の動向を助長するかのような今の中国の動静に危機感を持っている。このような動きは「右派ポピュリズム」に正当性の幻想を与えるばかりである。そこにはただ、「左派というのは皆、<ソヴィエト連邦共和国>、<中華人民共和国>、<朝鮮社会主義人民共和国>を目指しているのだ」という乱暴な論理があるが、ところがそんな「右派ポピュリズム」は、自分らのナチズムへの親和性を否定しようとはしていないように思える。彼らは「ヒトラーは正当な選挙で選出されたのではないか」とヒトラーを正当化する。
今危険なのは、今や暴力革命など起こり得ない社会を無視して、「反共」から「ファシズム」への道を歩もうとする連中の存在ではないかと思う。もちろん、現代の「ファシズム」は過去のようなかたちは取らず、新しい「ファシズム」のかたちを示すだろう。
そんな動きを、今の中華人民共和国の動向が結果的に後押ししてしまっているようだ。