ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『オーデュボンの自然誌』スコット・R・サンダース:編 西郷容子:訳

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 この本は、オーデュボンが書いた文章のアンソロジーであり、主に『鳥類の生態』から抜粋された鳥をテーマにした文章、その間にはさみ込まれた「冒険譚」のようなエッセイ、そして最後にオーデュボンの日誌、手紙からの抜粋で成り立っている。そこからはまさに、オーデュボンの「冒険家」「狩猟家」としての側面、「鳥類研究家~画家」としての側面、そして「ナチュラリスト」としての側面が読み取れるのではないかと思う。そして興味深いのは、そんな「狩猟家」でもあり「ナチュラリスト」でもあったオーデュボンの、「矛盾」とも捉えられるその行動と思考でもある。
 本は第一部「我が旅、我が暮し」とまとめられた12編のエッセイ、第二部「鳥類の生態」の16編、そして第三部「手紙と日誌」とから成り立っている。

 フランスで生まれアメリカに渡ったオーデュボンは、自分は英語を使いこなせないからいい文章を書けるわけもないと書いていたようだけれども、『鳥類の生態』執筆にあたっては、スコットランド博物学者(鳥類学者)ウィリアム・マクギリヴレイの監修を受け、その記述内容を超えて「表現の粗さを整える」役割をも果たしたらしい。
 また、そういう「いい文章を書こう」という制約から逃れて自由に書いたはずの彼の日誌や手紙も、のちにオーデュボンの孫娘(それとオーデュボン未亡人)の手によって、オーデュボンを健全で常識的な人間に見せるための「改作」、そして大幅な「破棄」が行われたという(このあたり、ランボーの最後の書簡類が、信仰心の強いランボーの妹によって破棄された事情を思い出させられる)。じっさい、オーデュボンとはけっこう粗野で乱暴な人だったのではないかと思われるような記述も残っていたりするけれども、けっきょく上記のような「編集」によって、「紳士的な人格」の持ち主としてのオーデュボン像が残っているだろうか。

 「我が旅、我が暮し」のエッセイには、先に読んだ『オーデュボン伝』にそっくりそのまま書かれていた逸話も出てくるし、1811年の「ニューマドリッド地震」の短かい記述も読むことができる。この地震の体験談は興味深く、その時オーデュボンは馬に乗って歩を進めていたところだったが、急に馬の歩みが慎重にゆっくりになり、「馬が疲れたのか」と思ったオーデュボンが馬から降り、手綱を引こうかとした瞬間、馬は大きな声を出してうめきはじめ、足を四本とも突っ張って動かなくなった。そこで強烈な「揺れ」が来て、「地面はさざ波が立った湖面のように、何度も波打った」という。この地震の余震はその後数週間つづいたというが、この「ニューマドリッド地震」、ひょっとしたら人類が体験した最大の地震だったのかもしれないが、人間よりも先に馬が「これから来る大地震」を予知していたということが興味深い。

 そしてこの本では、先に読んだ『オーデュボン伝』ではまったく触れられていなかった、オーデュボンの「ナチュラリスト」としての側面が、彼自身の文章で綴られていることが興味深いのだが、そこからまた、おそらくはその時代性もあっての「オーデュボンの矛盾」が読み取れることが面白い。
 エッセイ「ラブラドール半島の卵採り」では、まるで海賊のような略奪を行う「ウミガラスの卵採り」連中への攻撃が読める。ここで書かれている「ウミガラス」とは、しばらく後に絶滅してしまう「オオウミガラス」とは別種だろうかとも思うのだが(オーデュボンがラブラドール半島周辺に旅したとき、すでに「オオウミガラス」はもうこのあたりにはいなくなっていただろう)、このような「卵採り」を「種を根絶やしにするようなやり方」と非難している。
 一方でオーデュボンは、狩り仲間と共に狩りに出て、(何の鳥だったか確認できないが)みんなで何千という鳥を仕留めたなどという「武勇伝」を平気で書いてもいるし、あの「リョコウバト」に関しても、目の前で膨大な数のリョコウバトが殺されても心配してはいない。しかし、ミシシッピー川流域の広大な自然に関しては、こんな自然もそのうちに開発されて人が住むようになり、そのおもかげもなくなってしまうのかと危惧している。

 オーデュボンが単に「狩人」とは異なる点は、まさにその鳥を描くために詳細な観察をし、多くの鳥を自分みずから飼育して、その生態をしっかりと観察しようとしたところにあるだろうか。

 わたしは、この本を通じてオーデュボンの生涯を想像するわけだが、前に読んだ『オーデュボン伝』のような中途半端な伝記本ではなく、もっとしっかりした、「ナチュラリスト」としてのオーデュボンをも取り込んだ「伝記」が読めるといいものだが、とは思っている。