ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『PIPILOTTI RIST ピピロッティ・リスト YOUR EYE IS MY ISLAND あなたの眼はわたしの島』@水戸・水戸芸術館現代美術ギャラリー

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 まず先にちょっと、わたしの見た、この展覧会の観客層のことを書いておきたいのだけれども、圧倒的に若い女性の観客が多かった。だいたい70パーセント以上はそういう若い女性観客で、20パーセントぐらいが若い男性観客。こういう現代美術の展覧会にけっこう見受けられる年配の男性、年配の女性の姿が圧倒的に少なかった。わたしなんか会場の中では絶滅危惧の希少種族でしたよ。
 わたしが思うに、たいていの現代美術の展覧会で若い女性客の数が多いことは実感を持って知ることだけれども、この展覧会ほどに圧倒的だったというのは、あまり記憶にはないこと。

 その大きな理由は、やはりこのピピロッティ・リストの作品が圧倒的に女性たちに支持されるようなものであるからだろうと、展示作品を観て思うのだった。ここにあるのはやはり、「女性を主人公として眺められた、この<世界>の姿」ではないかと思う。
 わたしは知らなかったのだが、彼女の「ピピロッティ・リスト」という名は、彼女の幼い頃からの「愛称」で、それは『長靴下のピッピ』から来ているのだという。そして彼女の作品は、そんな彼女の愛称にとてもマッチしているではないのか。

 今回の展示、日記の方にも書いたけれども、大きくはその展示室全体を使ったような3つの映像作品があり、それと多数の「もうひとつ別の世界での生活」を思わせるようなインスタレーション群、そしてそのメインの展示スペースの外で上映されている、彼女の初期の(パンキッシュな)ヴィデオ作品があり、日没後は屋外でもうひとつの映像作品も上映されていたわけだ。
 特に大きな3つの映像作品は展示室に敷かれたカーペット、マットレス、さらにはベッドの上に(もちろん靴を脱いで)横になって作品を鑑賞し、そのうちの1点「4階から穏やかさへ向かって(4th Floor To Mildness)」は、天井に映される映像を仰向けになって鑑賞するのだった。

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 彼女の90年代までの初期の作品には挑発的なところもあるのだけれども、当時のパンク・ミュージック・シーンの影響を受けたような、映像ノイズも取り入れた作品のいくつかは、わたしもとっても気に入ってしまった。
 それ以降の本展示の作品群は、基本は挑発的なものではなく、タイトルにもあったように「穏やかな」世界、特に海だかの水中で撮られたパートが目を惹き、マットレスに横になりながら、まさに「穏やかさ」に包まれるような気分で観た。特に先に書いた「4階から穏やかさに向かって」は、水中に浮かぶ植物、その葉の映像の中で、まるで観ている自分がアメーバとかプランクトンになったような気分になり、わたしの大お気に入りの作品だった。

 あと、これは彼女の代表作ではないかと思われる「永遠は終わった。永遠はあらゆる場所に(Ever Is Over All)」では、画面の左半分で若い女性が微笑みながら、長い茎のついたカラフルな花のつぼみを持って街頭を歩いているのだけれども、車道に停められた車のウィンドウにそのつぼみを打ち下ろすと、ウィンドウはこっぱみじんに割れてしまうのだ。そうやって彼女は次々と車道の車のウィンドウを割って行くのだけれども、後ろからやって来る警官(女性だった)と、互いににっこりとあいさつを交わすのだった。
 画面の右側には、その彼女の振り回していたつぼみが野に咲いているさまが映されていた。
 この作品はある意味「挑発的」なのだけれども、行為する女性の明るい表情もあって、観た印象は実に「爽快」なのだった。YouTubeにこの作品の一部はアップされていたので、ここに貼り付けておきましょう。

 わたしは男性だから深くはわからないのだけれども、作品には「女性の身体性」への問いかけかと思えるところもあり、そういうところが若い女性観客の「共感」を呼ぶのではないかとも思った。
 日没後に屋外で上映されていた「わたしの草地に分け入って(Open My Glade)」なども、わからないけれども、「顔もいつもメイクして美しくしなければならない」という若い女性の「(強制、要請された)生き方」への問いかけではないのかとも思った(この作品は、展覧会ポスターにも使われていた)。

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 ミュージアムショップに行くと、この展覧会の図録はもう売り切れていて、先にこの展覧会のあった京都の近代美術館に注文して下さい、ということだった。
 実はこの図録、4千円するわけで、まあミュージアムショップに置かれていれば買わずにはいられないよな、とは思っていたのだが、「売り切れならばしょうがない」というか、ちょっと財布が助かったと、ホッとしてしまったのだった。

 ちょっとムリをして観に来た展覧会だったけれども、こうやって観ることが出来てよかった、と心から思うのだった。「年配の男性」だからといって、楽しめる展覧会ではあったと思う。わたしはたっぷり楽しんだ。