ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ビートルズ』北中正和:著

 この新書の帯には、「なぜ、彼らだけ別格なのか。」と大きく書かれている。
 そう、この本の感想をどこから書きはじめたらいいのかわからないから、このあたり、「なぜ、彼らだけ別格なのか」を「とっかかり」にしようかと思う。そしてそのあたりは、この本の感想からはちょっと乖離してしまいそうな予感もするし、これはあくまでも「わたし」の考えではある。

 「なぜ、彼らだけ別格なのか」、それは、デビュー時にマネージャーのブライアン・エプスタインが彼らにやさぐれた革ジャンスタイルをやめさせてネクタイにスーツ姿で舞台に上がらせ、舞台上でもキチンとお辞儀をさせたことも、さいしょのブレイクにプラスになったのだろうとは思う。
 しかし何といってもそれ以上に、彼らビートルズが常に自分たちの音楽を進化させつづけたことが大きいだろう。たとえば、デビューして1年ちょっとのときの新曲「I Feel Fine」で、それまで誰もやらなかったフィードバック音を曲のイントロに持ってくるようなこともやっているし、「Yesterday」では弦楽四重奏をバックにしてのレコーディングを行っている。そのあともこういう「実験」、「革新」はつづくけれども、まずはここのところで、プロデューサーのジョージ・マーティンの存在の大きさが「彼らを別格にした」とはいえるだろう。
 「第5のビートルズ・メンバー」といわれるジョージ・マーティンだけれども、他のプロデューサーならば曲のイントロにフィードバック音持ってくるなんてことはぜったいにやらなかった(やらせなかった)だろうし、4人のユニットなのにポール・マッカートニーひとりに弾き語りさせ、そこに弦楽四重奏を重ねて「ビートルズ」名義でアルバムに入れるなどということは、この時代にはどんなプロデューサーもやらなかったことだろう。
 このあともアルバムでいえば「Rubber Soul」「Revolver」と進化をつづけ、ポピュラー・ミュージックの世界を常にリードするようになる。その当時は「同時代」的にビートルズの音を追いかけていたわたしなどは、彼らの新譜がラジオでオンエアーされるたびに、「今度はこ~んなことをやったのか!」と、毎回おどろかされたものだった。

 このことでわたしには当時ひとつ、忘れられない思い出があって、それは「Penny Lane」が発表されてラジオで初めてオンエアーされたとき、実は放送事故でその曲のテープの速度がだんだんに落ちて行くままに放送されたわけで、ラストの方ではすっかり間延びするし、ポールの声もどんどん低くなってしまうのだった。しかしわたしはそれは「放送事故」などではなく、じっさいにビートルズは「そういう曲」としてリリースしたのだと思い込んでしまい、それを聴いた翌日学校で、「おい! 今度のビートルズの新曲はまたびっくりさせられるんだぜ!」と友だちに語ったものだった(まあこの曲の前に「Revolver」もリリースされていて、「Tomorrow Never Knows」で仰天させられた体験もあったものだから)。

 彼らの「実験」のある意味での頂点はやはり、1967年リリースのアルバム「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」ではなかったかと思うのだけれども、その影響はただロック、ポップ音楽にとどまらず、当時の文化全体に大きな影響を与えたと思う。まあ今になって聴くと「こりゃあ<ロック>とは言えないな」というところもあって、当時の「ロック史上最大傑作」という評価からは多少の距離も生まれているけれども、当時このアルバムを聴いたわたしなどはびっくらこえたモノだった。このアルバムでもジョージ・マーティンの貢献度は並大抵のものではなく、彼がビートルズのプロデュース以前にさまざまな(とりわけコミカルな)音楽を手掛けていたことが、ここでフルに生かされたことと思う。まさにここで、彼は「第5のビートルズ・メンバー」だったのだ。

 しかしビートルズも、「やることなすことすべてOK」と進んだわけでもなく、そのあとに彼らが企画した映像「Magical Mystery Tour」は「クソ」というか、「高校生が文化祭のために8ミリで撮りました~」みたいなものでしかなく、まあ映像面では彼らを助けるジョージ・マーティン的な人物がいなかったということでもあっただろう。
 わたしはこの頃にはそんな「停滞する」ビートルズは置いておいて、そういう「進化的な・実験的な」音楽をもっと聴きたいと思い、そこでフランク・ザッパを発見したりして、「こっちの方がイイや」と、そのあとはあんまりビートルズは聴かなくなったのではあった(それでも、映画「Let It Be」は観に行ったが)。

 わたしの思い出はまだまだいくらでも書けるのだけれども、そういうことはいいかげんにしておいて、この北中正和氏の『ビートルズ』の感想を書きましょう。

 ここで、やはり北中正和氏が「巧み」だなあと思うのは、一般によく語られる同時代(60年代)のアメリカのR&Bなどにビートルズの音楽のルーツを求めるのではなく、そうではなくビートルズのメンバーの成長に合わせて、そんな彼らの家族の音楽体験などにもさかのぼっても、ある意味リヴァプールビートルズ4人の出身地)という土地の音楽的背景から解き明かされるあたりにあるだろうか。そしてそのような背景を、ビートルズのレコーディングして残した楽曲の中から、当時からわたしなども「意外な選曲」と思っていたものを選んでつなげていくあたりの「面白さ」というのが、わたしにはあった。
 それは「ビートルズ」としてデビュー以前にハンブルグで吹き込まれた「My Bonnie」であるとか、それ以降の「Till There Was You」や「A Taste Of Honey」、「Bésame mucho(ベサメ・ムーチョ)」などについて書かれるとき、「なるほど!」と納得させられるのだった。

 そのように、まずは4人のデビュー前のことから書き起こし、そのようなバックグラウンドを語りながらも「ビートルズの解散までの歴史」を語っているところに、単に「ビートルズはこういうグループだった」とか、「トリビア的知識」の羅列ではない、この本の魅力があると思った。そういうところで、「一回読んだからもういいや」と投げ捨てるのではなく、折に触れて読み返してみたいと思わせられる本ではあったと思う。