ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-09-07(Tue)

 早朝に目覚めてテレビをつけるとまた、あの例の「かわいい動物のこども(北海道)」の映像を放映していた。またまた、結局は死んでしまうヒグマの子の映像を見せられるのかとガックリするのだが、NHKもわたしのこのブログを読んでくれたのか、この日はそのコグマの映像は流されなかった(それとも、わたしがトイレに行っているときにやっていたのだろうか?)。リスのこども、そしてトウキョウトガリネズミのこどもなど、かわいかったが。

 家を出ると、この朝はすっごい久しぶりに雲に覆われていない空だった。空にはいくらか青みがあり、東の空をみると日の出が近いという明るさがあった。そう、まだこの季節のこの時間、真夜中のような暗闇に覆われているわけではないのだ。駅に近くなって振り向いて、東の空をカメラで撮ると、こ~んな感じである(じっさいにはもうちょっと暗いのだが)。しかし今朝も肌寒かった。まだまだ9月上旬。こうやって青空が見えるのだから、もう少し暖かくってもいいではないかと思う。

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 仕事をしていてちょっと外に出て見ると、もうすっかり空も晴れていて、道には歩く人の影が陽の光で出来ていたりする。こういう「影」を見るというのも久しぶりだと思う。空気は澄んでいて、暑くも寒くもないという感じで、「心地良い秋の昼間」という感じだった。外に立って陽を浴びる感覚もすばらしい。「こういう世界でずっとすごせたら、それもひとつの幸福感だな!」とか思うところだ。

 仕事を終えて帰路。昼になってさらに暖かくなった。空を見上げると、薄い雲のうしろ側で太陽が一所懸命光っている。いい眺めだ。

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 自宅駅からいつもの跨線橋を渡ると、向かいのマンションの多くのベランダに布団とか干されていた。久しぶりに陽射しがあるから、み~んながんばってるのだ。でもこうやってそういう光景をみると、何だか昭和の公営団地の風景みたいに見える。というか、わたしにはピンク映画の「団地妻」シリーズのオープニングシーンが思い浮かんでしまう。

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 跨線橋を渡ってウチの方にしばらく歩くと、ちょっと盛り上がった土地の公園があるのだけれども、その公園の遊具の上に白いネコらしい姿が見えた。
 近づいてみると、以前このあたりで会ったことのある、オッドアイの白ネコだった。うれしい再会。何とも美しいネコだと思う。耳がカットされているので、不妊手術をすませた「地域ネコ」なのだろう。どうかこのあたりでずっと暮らしつづけ、またわたしにその美しい容姿を見せてほしいものだ。

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 って、あんまりわたしが不用意に近づきすぎたので、警戒して逃げて行ってしまった。ごめんごめん。驚かせるつもりはなかったのだけれども。

 帰宅して、昼食はまた焼きそばをつくる。今日は焼きそば麺に付いてくる粉末ソースは使わずに、「鶏がらスープの素」を使ってつくる。具材は昨日つくった焼きそばとまるで同じだが、やはりわたしには、今日の「鶏がらスープの素」焼きそばの方がはるかに美味しく感じる。

 しかし、7月にウチのそばの歯科医に行かなくなって治療を中断したままの歯の状態が、非常にヤバくなっている。右下の歯をブリッジでつないであるそのブリッジが、もう剥がれてしまいそうに浮いている。口の中で、その宙ぶらりんになったブリッジがパカパカ動くのがわかる。というか、ものを食べるときにブリッジが取れそうにもなる。ブリッジ(橋)が半壊状態。やはりすぐにもまた歯科医に行かなければならない。
 前に考えたようにウチの駅前の歯科医に行くべきかと考えるが、仕事を終えてから帰りに行くには午前中の診察ギリギリだし、いちど帰宅してからまた駅まで歩いて行って通院するというのもやりたくない。このあたりには他に良さげな歯科医もないしなあと思い、もういちど勤務先近辺で探してみる。前に検索したときには仕事の帰り道に通えるような適当な歯科医もなかったのだけれども、どこかで妥協しなければならないか。そう思って検索してみると、なんと、この8月にまさにわたしの帰り道、駅のそばのビルの中に新しい歯科医が開業していたのだった。そのHPを閲覧し、個人での開業ではなくちゃんとバックもしっかりしているようだし、何よりも開業したてで院内もきれいだろうし、こういうCOVID-19禍の下、そこまで混み合ってもいないだろうと、その歯科医に行くことに決めた。明日仕事を終えたあとに行くことに決めた。
 仕事を終えたあと、駅への帰り道の途中で立ち寄れるならば、それがいちばん望ましい通院になるのではないかと思う。また歯の治療が始まる(ちょうど、読んでいる『ジェイムズ・ジョイス伝』でもジョイスは歯の治療をするところだった。ジョイスは歯を全部抜いて<入れ歯>にしてしまうのだが)。

 今は通勤時間などにアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』を読んでいる。せいぜい200ページほどの文庫本だから、2~3日もあれば読了するかと思っていたのだが、思ったより時間がかかっている。内容に手こずっているというよりも、字が小さいせいじゃないかとか思うのだ。
 ちょうどブルトンがこの『シュルレアリスム宣言』を出したのが1924年で、つまり当時パリにいたジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』が書籍として出版されたのは1922年。まさに「同時代」で、当時のパリを中心とした詩人とか文学者らの交友関係にはまことに興味深いものがある(ナボコフはこの頃ベルリンにいたのだけれども、もうちょっとしたら彼もパリにやって来て、ジョイスとニアミスするのだ)。しっかしブルトンジョイスとか『ユリシーズ』にこれっぽっちも興味はないみたいで、それはブルトンシュルレアリスムとして「小説」というジャンルを否認していたことと繋がるのだろうけれども、けっこう興味深いことだ。このことはこの『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』を読み終えたら、その感想としていろいろ書いてみたい。