久々の「展覧会」カテゴリー。
この高島野十郎(たかしま やじゅうろう)という人は福岡は久留米に生まれ、東京帝国大学の農学部水産学科を卒業したのだが、以後独学で画家を志し、ヨーロッパに3年間渡ったと。
おそらくは実家が裕福で経済的な圧迫はなかったのだろう。いわゆる当時の「画壇」とはいっさい関わらずに絵を描きつづけ、たまに個展をやりながら、70歳のときに柏市の郊外にアトリエを設けて画業をつづけたという。
この人、戦後は東京の青山に住んでいたらしいのだけれども、1964年の東京オリンピックにともなう道路拡張計画のせいであちこちと転居を余儀なくされたらしい(過去のオリンピックもまた、こういう「排除」をやっていたのだ)。それでも柏市に転居したときにはその地を「パラダイス」と気に入っていたと。
この展覧会には作者30歳の頃の自画像から始まり、3点ほどの「自画像」が展示されていたが、おそらくは独学ながらデューラーあたりに惹かれていたのだろうということがうかがえる。のちの作品にも「からすうり」や「ぶどう」、「りんご」などの画材が登場する。そういうところは精神的には岸田劉生(同世代である)との親和性もあったのだろう。その自画像はいささかなりと不気味でもあり、まさに岸田劉生の「デロリ」絵を想起させられるところがある。しかし彼が岸田劉生と会ったことはないはずで、そこにはその時代の「精神性」として共通したものがあったのだろうかと思う。
特に、20代の頃に描いたという「傷を負った自画像」はまさに不気味で、まあ人は若い頃にはこういう精神性(自虐的?)も持つものだろうが、この作家にこのような「精神性」がその後にどのように引き継がれていくのか、興味を持って展示作品を観ることになる。
彼の描画対象はそのうちにそんな「静物」、そして「風景」主体へと移行して行くのだけれども、特に風景画において、彼が描こうとしたのは「タブローとしての自立性」というよりはやはりどこまでも「精神性」の追求であって、そういうところで「ドイツ・ロマン派」、とりわけカスパー・ダヴィッド・フリードリヒの世界に近接するようにも思えた。
それは「目に見える表象」を超えた、存在の中に何らかの精神を求める姿勢で、たしかにチラシに書かれていたように「写実を超えた写実」という表現に納得するところがある。
展示の最後のコーナーに、彼が生涯に何点も描いた「蝋燭」の小さな作品が並べられていて、技術的にどうのこうの言える作品ではないのだが、やはりそんな「炎」を凝視してキャンバスに定着しようとする作者の意志には、「ドイツ・ロマン派」的精神があったのではないだろうか。
晩年の作品には「それは<日本画>ではないのか」と思えるような構図、色彩のものが見受けられたし、よく作品を近くで見ると、その絵の具の重ね方が一種「オールオーヴァー」というのか、どこをとっても同じような均質な絵の具の層になっていて、そこに微妙にさまざまな色彩を重ねることで「色彩的奥行き」ともいえるようなものを表わしていると思った。そしてその「奥行き」が、描かれた対象の表わす世界の「奥行き」をも表わしているだろうし、こういうところでも、画家の日本画への親和性を感じさせられもした。
どこまでも「精神性」、「精神性」とばかり書いてしまったが、思いがけずもけっこうインスパイアされる展覧会を観た。