ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-08-02(Mon)

 月曜日。今日は「ふるさと公園」を通って帰る。やはりこの日もコブハクチョウ家族には出会えなかった。7月20日にその姿を見てから、もう2週間その姿を見ない。もう雛も孵化して3ヶ月になる頃だし、ひょっとしたらそろそろ親離れもしてひとり立ちする時期で、あの家族関係も解消してバラバラになってしまったかもしれない。たとえ「家族」を解消したあとであっても、またその個別の姿を見たいものだけれども。

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 今は夏真っ盛りで、公園の池にもまるで水鳥の姿も見られない。そうすると木の枝に飛び交う野鳥が楽しみになるのだけれども、今はほとんどがムクドリだ(ムクドリもかわいいのだが)。
 公園を出ようとするところで、ちょっと甲高い声で啼く鳥が2羽飛んできて、わたしの前の木の枝にとまった。「逆光で真っ黒だなあ」と思いながらも、カメラを向けて1枚は写真が撮れた。
 帰宅してその写真をパソコンに取り込んで見てみたが、写真としての構図はなかなかにいいのだけれども、やはり「真っ黒け」だ。

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 でも、画像操作で思いっきり画面を明るくしてみると、その羽根のかたちなどはけっこうはっきりとわかるようになった。「真っ黒なものはいくら明るくしてもせいぜい灰色になるだけだろう」と思っていたが、意外と細部もしっかり写っているものだ。

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 この鳥、整った美しい尾羽根のかたちからなどからも、やはり「ヒヨドリ」なのではないかと思う。

 しかし、この真夏の太陽の下、遠回りをして日なた道を帰ってくるとさすがに汗が噴き出てくる。帰宅してすぐにエアコンを入れ、冷蔵庫に冷やしてある缶ビールを出して飲む。おいしい。
 昼食はちゃっちゃっとインスタントの「冷やし中華」をつくる。まだ「冷やし中華」には欠かせないトマトもきゅうりも一食分残っていたのだ。
 もうその時点で時計は2時に近いところを指していて、パソコンを閲覧したりぼんやりしたりしているとすぐに3時も過ぎてしまう。そのころにはニェネントくんが避難地の押入れから這い出てきて、キッチンとリヴィングの境い目にゴロリとなって「食事はまだかな~」との「待ち」体勢になっている。「ちょっと時間が早くってもいいか」と、わたしが食事を準備しようと立ち上がるとニェネントくんにゃんにゃんとよろこぶ。ネコ缶を開けてその半分をネコ皿に出し(ニェネントの夕食はネコ缶半分なのだ)、ネコ用のカニカマを刻んでトッピングして出してあげる。ニェネントくんむしゃぶりつく。おいしそうだ。

 わたしはそこで不用意にテレビをつけるとオリンピックの中継とかをやっているので、あわてていちどテレビを消す。ネットでテレビの番組表をみて、<オリンピック中継>やそういう報道をやっていないチャンネルを探して、そのチャンネルに合わせてテレビをつけるのだ。
 例のIOCのバッハ会長は、日本でオリンピック放送の視聴率が高いことから、「日本国民に受け入れられた」と語ったという。わたしは受け入れていないから、意地でもオリンピック関連の中継、報道は見ない。まあそこまでに苦労することでもないし、あと一週間で東京オリンピックも終わる。そうしたらわたしは「テレビでの東京オリンピック、中継も報道もこれっぽっちも見なかった」ということになる。
 それでも、ネットでの報道に見出しとかはどうしても見てしまうし、それなりに興味があれば読んでしまうこともある。そんな中でツィッターとかにアップされた意見と合わせて、今わたしには気になっていることがある。それは今問題になっている「アスリートへの誹謗中傷」ということにも関連する。
 わたしがツィッターで読んだ意見には、「アスリートらは今国内でこれだけCOVID-19がまん延しているというのに、オリンピックに参加していていいのか?」というものもあった。もちろんそういう意見を述べる人は「COVID-19禍」と「東京オリパラ」とを関連付けて言っているわけで、わたしもその問題はまったく無関係ではないと思うから「東京オリパラ」にはずっと反対している。しかし、そのことは「東京オリパラ」に参加するアスリートにはぜったいに向けない。
 「東京オリパラ」は参加するアスリートらが「やりたい」と言ったから開催されているのではなく、IOC、五輪組織委員会、東京都(そして内閣)の意向で開催されてしまったものであり、アスリートらは実は「主役」のようにもてはやされてはいるけれども、イヴェントの末端の人間にすぎない。そういう人たちに「どういうつもりで参加してるのか?」と問うのは問う先をまちがっていると思う。
 それは極端に言えば「このCOVID-19禍のもと、あなたはなぜウチでテレワーク勤務をやらずに電車通勤しているのか」という責めにもなるだろう。
 人は何かを攻撃しようとするとき、その何かの末端の、自分が攻撃しやすい存在を攻撃するのだろうか。それはたとえば、「嫌韓」のヤツが朝鮮高校の生徒に「国に帰れ!」と責め立てるようなようなものではないか。

 もうひとつ、これも今さらわたしなどが語るまでもなく、多くの人の言うところだろうけれども、今のオリンピックは「国対国」のメダル獲得合戦になっていて、アスリートはいやがおうでも「国の代表」にされてしまう。いってみればオリンピックとはアスリートをおもてに立てての国家間の「代理戦争」みたいになっている。それでアスリートへの誹謗中傷もあふれてしまう。
 今のネットのニュースでも、そのトップページには今のオリンピックで日本がいくつのメダルを獲得したのか、その数が表示されている。もちろんそのひとつひとつのメダルには獲得したアスリートのパーソナリティがあって、そのこともきっと報道はされていたのだと思うけれども、結果として表示されるのはただの「数字」である。
 こういうことはそもそもの「オリンピック」の理念とはほど遠いものであり、そうではなく「国のメダル数」だけが問題にされるようならば、もうオリンピックの精神というものは死滅しているのだと思う。もうこのあたりで、現代の「オリンピック」というものは打ち止めにした方がいいだろう。
 また、ツィッターなどを閲覧していて、つまりは「反菅政権」とか「反オリンピック」などという一見リベラルな立場に立つように見える人も、こうやっていろんな事象が起きてみると、単に「ネトウヨ」の裏返しなだけの人がいっぱいいることもわかった。悲しいことである。
 そういうあれこれで、今日は急にもう、ツィッターもあまり閲覧しない方がいいな、などと思うことになってしまった。
 わたしはやはり公園や「野良ネコ通り」を歩き、そこで巡り会った鳥たちや野良ネコたちに心を寄せている方が、自分の「心の健康」を保てることだろう。