ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『血と怒りの河』(1967) シルヴィオ・ナリッツァーノ:監督

 原題は「Blue」で、これは主人公(テレンス・スタンプ)の名まえでもある(映画ではメキシコ名として「アズール」と呼ばれるが、その意味は「ブルー」である)。

 1960年代に入って、アメリカ映画の重要な一ジャンルであった「西部劇」は衰退の道を進み、海外(イタリアね!)では「マカロニ・ウエスタン」が勃興し、アメリカ国内ではもっとリアルな「現代」に目を向けた、いわゆる「アメリカン・ニューシネマ」というジャンルが抬頭しはじめる時代になる。
 この『血と怒りの河』の製作された1967年には、すでにイタリアではセルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』が公開されていたし、その『荒野の用心棒』に主演したクリント・イーストウッドは、翌1968年にはドン・シーゲル監督による『奴らを高く吊るせ!』に出演してアメリカでの活動を開始するし、「最後の西部劇」とも言われたサム・ペキンパー監督の『ワイルドバンチ』は1969年。「アメリカン・ニューシネマ」と西部劇の合体の『明日に向って撃て!』もまた、1969年の作品である。
 そんな時代(よりもちょっと早くつくられた)の「西部劇」がこの『血と怒りの河』。いちおう製作には若き日のアーウィン・ウィンクラーの名も見られ、「新しい時代の西部劇」を目指して撮られた映画ではないかと想像する。
 じっさい、この映画の監督のシルヴィオ・ナリッツァーノは主にイギリスで活動していたカナダ人監督で、もちろん主演のテレンス・スタンプもイギリス人であり、いちおう「アメリカ映画」とはいえ、先に書いたようにプロデューサーのアーウィン・ウィンクラーは、そういう「イギリス映画の血」をここで導入して、「新しい西部劇」をつくろうとしたのではないだろうか。

 さて、ストーリーはアメリカとメキシコとの国境の河川地域で展開し、メキシコ人らの盗賊集団が川を越えてアメリカ人らの居住地域に攻め入るという「闘争シーン」から始まる。どうもこのあたり、メキシコ的なアイコンが目につくことからも、やはり「マカロニ・ウェスタン」的な空気が漂う。
 主人公のアズールはそのメキシコ軍団の一員なのだが、彼はメキシコ軍団の首領格の男の「息子」扱いらしい。しかし彼の出自は実は「アメリカ人」であり、幼い頃に家族をメキシコ軍団に虐殺されたときに生き残り、その首領格に助けられて「息子同然に」育てられたらしい。
 アメリカ人居住区を襲うメキシコ人ら。首領格の実の息子がアメリカ人医師の家に押し入り、そこにいた娘を凌辱しようとするのだが、そのような行為を忌み嫌うアズールは自分の仲間を撃ち殺し、自分も重傷を負う。
 娘の「命の恩人」とされて介護され、以後アズールはその医師の下で暮らすようになり、いずれアメリカ人居住区の中でも彼のことは認知される(ただし、医師の娘を慕っていた若者はアズールをかんたんには認めないが)。

 時を経て、メキシコ軍団がアズールの前に姿を現し、首領は彼に「戻って来い!」というのだが、アズールはそれを拒む。首領は「では、そのうちにおまえらの居住区をまた襲うことになるだろう」と言うのであった。

 むむむ、冒頭のメキシコ軍団の攻撃シーンの演出が、グダグダではあろう。「これは見つづけるのはキツいな」とは思うのだが、そのうちにドラマ的展開になって持ち直す。まあどこか、あの『シェーン』の展開の大人版、というところはあるというか(もちろん、医師の娘とアズールは「いい関係」になるのであるが)。

 この作品のひとつのテーマは、「アメリカ人として生まれたが両親は殺され、メキシコ人強盗一族の首領に息子として育てられた男が、ふたたびアメリカ人家族に迎え入れられて、自分のアイデンティティーのゆらぎを感じる」ということにあるのではないかとは思うのだが、むむむ、もうそういうことはすべて、テレンス・スタンプの<魅力>に預けてしまうのだね(というのはわたしの「思い込み」か?)。もしくは、ここにはまさに「現代的」な問題である「国境紛争」ということを読み取ってもいいだろうとは思うのだが、そのあたりには「腰砕け」感はあっただろうか?
 ま、言ってしまえば、ただただ「テレンス・スタンプの<魅力>に酔いしれる映画なのだ」ということであろうか。いいではないか。そもそもが、「テレンス・スタンプ主演作」というのは、それだけで<貴重>なのだ。

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 原題の「Blue」とは、テレンス・スタンプの名の「アズール」の英訳であるだろうし、また、テレンス・スタンプの<青い瞳>の謂いでもあり、映画の中で記憶に残る「美しい青い空」のことでもあるだろう。
 意外と、テレンス・スタンプの30代までの出演映画作品というのは数少なく、そんな中でもこの「西部劇」、彼のヒロイックな姿を観ることのできる貴重な作品だとは言えると思う(演出の、ほのぼのとしたユーモア感覚もまた良い)。

 ところで、ラストの「河」のシーン、水面近くの撮影からぐんぐんとカメラが上昇し、今の時代ならばこんなのはドローンを使えば簡単なことだろうが、仮にヘリコプターでの撮影としても水面にヘリコプターからの波紋も見られず、「どうやって撮影したかね?」と、感心してしまうのだった。
 まあいろいろと言える作品だとは思うけれども、そこはやはり「テレンス・スタンプ!」ですべてを乗り切れる作品ではあるだろう。保存盤。また観よう。