ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『贈与論 他二篇』マルセル・モース:著 森山工:訳

 あまりに有名な「ポトラッチ」というものの概念を伝えた書物であり、民俗学的なアプローチに社会学、経済学を統合して考察した「エポック・メーキング」な一冊。
 わたしは「ポトラッチ」というものについて、ただ「無償の贈与」なのかというような情けない知識でこの本を読み始めたのだけれども、そうではない。贈与を受けたものは恐ろしい(と言ってもいい)「縛り(拘束)」を受けるのだ(それはまた、「贈与」する側にもふりかかるのだが)。それはまさに「帝国」、「貨幣経済」以前の世界の「政治学」であり、「経済学」なのであり、「では今の世界はそういうことは振り払っているのか?」というと、そういうことではないのだ。

 この書物でマルセル・モースは、考察の対象とした太平洋圏のそんな文化形態を「プリミティヴ」(「未発達」というニュアンスもあるだろうか)という言葉を使用せず、「アルカイック」という言葉を使う。ここにマルセル・モースの「現代の西欧文化こそ人類の到達点」という視点への「疑問」を読み取れるように思えるし、「学者」としてのマルセル・モースの姿勢を読み取れることだろう。

 この本(論文)が発表された時代は、まさに「ロシア革命」のショックが世界を覆った時代のものではあるけれども、マルセル・モースが興味深いのは、この論文でマルクス的な経済論に対して何ら言及してはいないこともあるのではないだろうか。
 実際、マルセル・モースは「社会主義」的な視点への共感を持つ人だったのだが、この『贈与論』はマルクス的な「共産主義」への同調姿勢は皆無である。
 もちろん、この本でマルセル・モースが取り扱ったアルカイックな太平洋圏の文化において、「共産主義的経済活動は過去からあったのだ」などとはとても言えなかったわけではあるけれども(やろうと思えば出来ただろうが)、彼がこの時代、妙にマルクス共産主義に寄り添うような論文にしなかったことで、今なおこの書物は「重要」なものでありつづけているのだろう。

 たとえばこの書物は、ジョルジュ・バタイユが引き合いに出したということでも知られているのだけれども、わたしはそんなバタイユの論考を読んではいないのでその件はわからない。
 ただわたしが興味深く読んだのは、「貨幣による経済交換」がないとき、人々はどのようにして「経済交換」ということを実践しようとしていたか、ということで、逆にその地平から現在の「貨幣制度」というものの背後に、いかに原初的制度(たとえば「呪術的制度」)が機能しているのかということを読み取るのだ。
 そこにはある意味でマルセル・モースの「現代資本主義制度」への「疑問」も読み取れるではあろうし、そのことがマルクス的な「共産主義」を目指さないということで、極めて「現代的」な書物ではあると思った。おそらくはこれからも、どんな時代になっても「現代的」な書物でありつづけるのではないかと思うのだった。

 補髄的に言えば、この日本で今も継続する「お中元」「お歳暮」の付届け、そして「結婚式」などでの儀礼的習慣というのは、まさに「ポトラッチ」の名残りではあることでしょうね。