ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-07-19(Mon)

 7月19日。本来だったら今日は「海の日」ということで「祝日」だったわけなのに、「オリンピックやるから」と勝手に「祝日」を移動されてしまい、この日は「平日」、出勤する日になってしまった。
 ウチのカレンダーを見ても今日は赤い数字になっているのだが、いちばんの問題は、わたしのスマホにセットしてあるアラームが、ひょっとしたら「土・日・祭日以外」というセッティングになっている可能性で、そうだったら「起きなくてはならない時間にアラームが鳴らない」ということになってしまうではないか。
 「ヤバい!」と思って昨夜チェックしてみたのだけれども、いちおうわたしは、月曜から金曜まで祝祭日にかかわらずアラームが鳴るようにセットしてあるのだった。おそらく「祝祭日」はアラームをオフにするセッティングができなかったのだろうけれども、「ひと安心」なのであった。「よかったね」などと言ってはいられないが。

 とにかく今のわたしはいつも、そんなアラームが鳴る前にとっくに目覚めているわけで、アラームのお世話になって「おお!もう起きなくっちゃ」となるのは一ヶ月に一度もない。ただアラームは「安全弁」なのだけれども。
 ベッドを出て、「まあ今週は3日がんばれば、そのあと4連休になるからな」という気分で支度をして家を出る。
 駅のそばで東の空を振り返ってみれば、ほら、もう今では太陽の昇ってくる姿は見られなくなっているのだった。

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 昼間は陽射しが強くてかったるい。帰宅して、実は昨日買った「ウィンナーポテト」も「イカの唐揚げ」もけっこう残っているわけで、インスタントのパンプキン・スープをつくり、食パンをトーストしていっしょに昼食にした。
 ところがこれでは食べきれなくってけっこう残ってしまい、けっきょく夕食もまた昼食とおんなじことになってしまった(くやしいことに、けっこうおいしかったのだが)。
 ニェネントくんの夕食もまた、昨日の残りの刺身になってしまい、ニェネントくんはお皿に頭を突っ込みながらもわたしの方を振り向き、「ねえねえ、なんか鮮度が落ちてるんだけれども、これって<昨日の残り>なんじゃないの?」みたいな視線なのではあった(まあけっきょく全部食べてはくれたけれども、ニェネントはごまかせないな)。
 けっきょく昨日は「ごちそう」にするんだ、という気分でいつもは買わないものも買ったのだけれども、何ていうことはない、今日はぜ~んぶ昨日のお余りで(わたしもニェネントくんも)食事をすませてしまい、つまりはいつもの「貧乏くさい」食卓になるのではあった。

 今日は「GYAO!」で、先日の『プラネット・テラー in グラインドハウス』につづいて、『デス・プルーフ in グラインドハウス』を観たのだった。

 夕方になって、昨日も書いた<東京オリパラ>の開閉会式の音楽を担当した小山田圭吾氏が辞任したのだ、という報道を読んだ。
 もう書くまでもないが、ここまでグダグダになってしまった<東京オリパラ>、「どうなってるんだろうね」というところではある。
 小山田圭吾氏も「愚か」だったというか、その過去の対談での発言は今までにも問題にされたことはあったわけで、そういう機会に「自分はぜったいに語ってはいけない自分の過去の愚行(ほとんど犯罪行為)を語ってしまったわけで、これはウヤムヤにできることではないな」という認識がなければおかしいと思うのだが、それをよりによって「障がい者」の大会でもある「東京パラリンピック」に絡むセレモニーの音楽を担当するとなったとき、「隠し通せることではないだろう」と思わなかったのだろうか。
 だから依頼を受けたとき、「いや、わたしはちょっと‥‥」と断っておれば、これからも今までと同じスケールでの活動は継続できたはずなのに、こうやって彼の過去をもう誰もが知ることになってしまったあと、もう今までの活動さえ継続が困難になってしまったのではないのか。
 すべては、彼の「反省」の薄さによるものだろう。

 そして、各新聞社などの「内閣支持率」調査で、スカ内閣の支持率は軒並み30パーセント前後に落ち込んだという。ところが当のスカ首相本人は、今になっても「ワクチン万能脳」に侵されたままで、「そのうちにワクチン接種率がもっと上がれば支持率も上がるだろう」という考えらしい。それはつまり「オレは何もやらないね!」というワクチン接種にすべてを預ける「無責任」であり、今ワクチン接種の予約がまったく滞っていることに皆が「不満・不安」を持っていることを無視している。そして彼はいまだに<東京オリパラ>を「安心・安全」の大会と繰り返すだけで、何らの対策も講じようとしていない。
 昨日の迎賓館でのバッハIOC会長を招いての晩餐会でもまた、スカ首相は1964年の東京オリンピックの思い出を語ったらしい。「国民相手」に同じことを繰り返すだけでなく、そういう内輪のパーティーでもまた、同じことを繰り返すばかりなのだ。そもそのもキャパシティーの狭さ、ボキャブラリーの貧弱さは覆うべくもない。この人をみていると、動物園のナマケモノだってもうちょっと頭脳を駆使して生きているのではないだろうかと思ってしまう。