ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-07-18(Sun)

 今朝、昨日の夢とほとんど同じ夢をみた。あまり鮮明に記憶しているわけではないけれども、「昨日の夢のつづき」というのでもなく、「昨日の夢のヴァリエーション」というような夢だったと思う。わたしはぼんやりと目覚め、「昨日みた夢みたいなのをまたみているなあ」と思っていたのだがまた寝てしまい、またその夢のつづきというか、同じような夢を引きつづいてみているのだった。

 梅雨が明けて以来空はまぶしい青色で、もう部屋にいてもエアコンが欠かせなくなった。それはもう7月ももうじき下旬で「夏真っ盛り」、学校だって昨日から「夏休み」に突入しているのだ。
 ニェネントくんはこのところ、たいていの時間は和室の押入れの中に「避難」しているようだ。わたしが「涼みたいんだったらこの押入れの中がいちばんだよ!」と、ニェネントくん用にふすまをちょっと開けておいたのだ。でも、じっさいにニェネントくんが押入れの中に引きこもっていると、ふだんニェネントくんの姿をみられないのでつまらないのだが。

 今日はついに「ごちそうを食べるぞ!」という気分で、ニェネントくんにも「おすそ分け」してあげようと、早い時間に東のスーパーへお出かけして「刺身の盛り合わせ」と「海鮮丼」、それから「イカの唐揚げ」「ウィンナーポテト」などなど買って来た。
 東のスーパーまで出かけるのは久しぶりになったけれども、その途中の道に以前はアジサイの花がいっぱい咲いていたものだけれども、今はまるで咲いている花を見かけられなくなっていた。大きな桜の木の根元にシダ類らしい植物が伸びていたので、花の代わりにそのシダを撮影した。シダの葉にはなぜか、「南国」という雰囲気があると思う。

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 帰宅してまずは昼食。まだ「焼きそば麺」があと一食分残っていたので、コレをなんとかしようと。先日の「たらこふりかけ」をかければ、お手軽に「たらこ焼きそば」になるのではないか?とトライしてみる。
 ‥‥うん、たしかに「お手軽」にできるわけで、味もそこまで悪くもない。ただ、これならば先日の「たらこスパゲッティ」の方に分があるだろう。結果として「ごはんにたらこふりかけ」>「たらこスパゲッティ」>「たらこ焼きそば」、というところだろうか。

 買って来た「刺身の盛り合わせ」をよく見ると、三分の二ぐらいは「かつおのたたき」で、あとは申し訳程度にイカの刺身と赤身とが乗っているだけで、「これは価格に比べてボラれたなあ」という気がした。「海鮮丼」も、このスーパーには珍しくまったくおいしくなかったし、「イカの唐揚げ」「ウィンナーポテト」は量が多すぎて食べ切れない。今日の買い物は失敗だった(思いがけず、いっぱい刺身をゲットしたニェネントくんは大喜びだったみたい)。

 <東京オリパラ>関連で、もう次の金曜日に予定されているオリンピック開会式などで、かつて<渋谷系>などと言われた某ミュージシャンが音楽を担当することがわかったのだけれども、そのミュージシャンが90年代に複数のサブカル系の雑誌の対談で、かつて相当に悪辣な「いじめ」に加担していたことを自ら自慢げにしゃべっていて、そのことが今めっちゃ問題視されている。たちが悪いのはその被害者が「障がい者」だったということで、そのミュージシャンは自ら手を下したのではなく、「こんなことやってやったら」とかアイディアを出し、そばで見ていたのだという。だとしても、これはもう「犯罪」なわけだ。

 この某ミュージシャンとは今はもう誰もが知っている「小山田圭吾」のことで、まあわたしは彼のやっていた「フリッパーズ・ギター」とか「Cornelius」とか、名まえは聞いていたけれどもマジメに聴いたことはなかった。だいたい<渋谷系>とか言われても興味はなかったが、ただPIZZICATO FIVEだけは好きだったな。
 その小山田圭吾の対談を掲載した雑誌とは「Rockin' On Japan」と「Quick Japan」ということだが、「Rockin' On Japan」のことは知らないが(雑誌の名は知っていたが、1ページたりとめくってみたこともない)、「Quick Japan」の方はもともと太田出版の出すサブカル誌だったわけで、どうも太田出版の関係からも、「鬼畜系」という言葉を思い出してしまう。おそらくその対談、そんな「鬼畜系」へのサブカル的な興味から企画されたというか、そんな時代的な空気と出版社の(無言の)要請の中で小山田圭吾はまさに「不用意」な発言をやらかしてしまったのだろうかと思う。「不用意」すぎた。
 そういう意味で、当時イヴェントをディレクションしていたわたしの周囲にも、そういう「鬼畜系」と呼ばれるアーティストがいなかったわけでもない。しかし、わたしの周囲にいたアーティストらはもちろん「いじめの加害者」的な意味での「鬼畜系」ではなく、逆に「被害者」的な立ち位置のアーティストだった。

 ここで、もちろん小山田圭吾の過去の発言は、いくら過去のものだったといっても許されるものではなく、そのときの空気で調子に乗ってベラベラとしゃべってしまったとして、そのことは彼はもう「一生」背負って行かなければならないのだ。今までのキャリアをすべて失っても当然、ぐらいの問題だと思う。もう古い記事なわけで、今までにも幾度か問題にされてはいたらしいが、今回の件でもう全国的に(海外にまで)彼の過去は知られてしまったわけで、もう誰も忘れないだろう。
 また、これらのことを調査できずに今回の<東京オリパラ>に作曲を依頼してしまった「組織委員会」だかの「調査機能」もまた、問題にされることだろう。

 ただ、わたしが危惧するのは、この問題からまた「鬼畜系」という過去のジャンル分けに火が付き、深い考えもなしに「鬼畜系」排斥みたいな動きになってしまうことだ。
 今、ちょっとインターネットでそんな「鬼畜系」について検索してみたのだけれども、どうも「加害者」としての「鬼畜系」と、「被害者」(という言い方が正しいかどうかわからないが)としての「鬼畜系」とがごっちゃに記載されていると思った。そんな中にわたしも個人的に存じ上げている出版社/ギャラリーの名も出てきたし、わたしの知るアーティストの名も出てくるのだった。
 まあ今はそういうことにもなっていないようだし、これはすべてわたしの危惧に終わればいいのだけれども。