ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-05-30(Sun)

 今日は日曜日で休みだが、今日はできるだけ『ブリーディング・エッジ』を読み進めることに専念したい。そうはいってもちょっと読み進めてはパソコンを閲覧したり、ちょっと読み進めてはテレビを見たりと、そこまでガンガンに読書に専念していたとも言いかねる。せいぜい百ページちょっと読めたぐらいだろう(それでも、家でこれだけ本を読んだというのはなかなかのものだけれども)。

 夕方に、スマホに「このあたりに豪雨が降る可能性がある」とのメッセージがあった。窓の外を見てみると、たしかに「コレはヤバいか」というような禍々しい雲が見えた。
 今日は写真を撮っていないし、毎日書いているこの日記にも毎日写真をアップしているわけだから、「あの雲の写真でも取っておこう」と、カメラを持って窓際へ行く。やはり窓を開けないときれいに撮れないので窓を開けると、すぐそばにニェネントが寄って来るのだ。開けた窓からニェネントが外に飛び出してしまうとヤバいので、ニェネントの方に注意を向けていたら、持っていたカメラをフローリングの床に落としてしまった。
 そのとたん、頭の中にケバい格好でスキンヘッドのブリトニー・スピアーズが姿を現し、「Oops!...I Did It Again!」と奇声をあげるのだった。ヤバい。

 以前にはやはり部屋の中でデジカメを落として背面のモニター部に大きなヒビが入り、つまり「おシャカ」になってしまったことがあるから、別にブリトニー・スピアーズが出て来なくっても「うへぇ!またやっちゃった!」とは思ったのだけれども、拾い上げたデジカメは背面モニターもレンズも無事のようだった。
 ところが、電源をオフにしようとしても、オフれば使用時に飛び出しているレンズ部が引っ込まない。つまり電源オフ出来ない感じなのだった。「やっぱり、また致命的なことをやらかしてしまったか!」と覚悟する。
 いちどバッテリーを抜き取って入れ直し、もういちど電源オフすると何とかレンズも引っ込んでくれたが、格納されたときにレンズを保護するシャッター状のカヴァーがうまく閉まらない。
 とりあえず電源は落ちたのだが、次に電源オンしても、レンズがしっかりと出て来ないのだった。ヤバい。

 よく見ると、レンズ部の周囲の筐体が落ちたショックで多少歪んでしまったようで、そこにつっかえてしまってうまくレンズ部の開閉が出来ないようだ。
 見た感じ、これは内部の複雑な機構の故障ではなく、単にいちばん外側の筐体、ケースの部分が歪んだだけだろうと思ったので、(大胆にも)自分で直してやろうと考えた。小さなドライヴァーを持ち出し、曲がってしまった筐体の内側にドライヴァーを差し込んで矯正する。意外とやわらかい金属で、かんたんに「大きなゆがみ」は直すことができた(但し、小さなゆがみはいっぱい出来てしまい、でこぼこになってしまったが)。
 いちおう電源をオンしてみたが、ちゃんとレンズが飛び出して問題はないようだ。オフしてもちゃんと引っ込んでくれるのだが、ただ、そのゆがんでしまった筐体だけがレンズが引っ込んだあともちょっとだけ飛び出している。これは手で押せばレンズと同じ位置に収まってくれたので、まあおそらくは問題なく使えることだろう。ま、しばらく使ってみて異常がないことを祈るだけだが。

 その、「この雲を撮影しようとしたがために‥‥」という雲がコレだ。撮影するほどに大した雲ではなかったのに。

     f:id:crosstalk:20210530183657j:plain:w500

 警報ではこのあたりも激しい雷雨になり、また雹(ひょう)が降るかもしれないなどと脅されていたが、わたしが眠りにつくまでそのような雷雨が来ることはなかったようだった。

 カメラを落として精神的にダメージを受けたからではないが、その前からこの午後は腹の状態がよろしくなかった。この状態を長引かせると明日の朝、電車に乗るのに不安を抱えなければいけなくなってしまうので、夕食に変なものを食べてさらに悪化させてはいけない。
 ちょうど本棚の上に、先日勤め先でもらった「症状別 養生レシピ」という小冊子があったので、この小冊子に役に立ってもらうのだ。パラパラとめくってみると、まさに「おなかを壊したときに」というレシピが3~4種出ていて、そこに「豆腐と白菜の中華煮こみ」というのがあり、ちょうど今日の買い物でなぜか「豆腐」を買ってあったので、「コレにしよう!」ということにした。ただ、今は白菜のストックはないのだが、キャベツならやはり今日買ったばかりでいっぱいある。白菜をキャベツにチェンジして、「豆腐とキャベツの中華煮こみ」をつくった。
 これはけっこう「あっさり味」で、まさに「胃にやさしい」味わい。寝るまでには胃の調子もさほど気にならなくなり、一安心して眠りにつくのだった。