ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-05-01(Sat)

 ニェネントが、どうも少々元気がないみたいだ。最近和室のクローゼットの上の「シェルター」にこもっている時が多いのだけれども、今日もずいぶんの時間を「シェルター」ですごしている。そして食欲も落ちているようで、いつも完食する量の食事を出しても、三分の一から四分の一ぐらい残してしまう。

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 まったく食事を取らなくなったわけではないし、水はちゃんと今までの量飲んでいる。便もモリモリ快調のようだし、夜になるとわたしの寝ているベッドに跳び乗ってくるもの今までどおりではある。ただ、今までわたしの胸の上のニェネントを手でかまってやっていると、「ガブリッ」と甘噛みしてきたのだけれども、その「甘噛み」をあまりやらなくなった。やっても、ぜ~んぜん痛くない。以前はいつも「そりゃあ痛いぜ!」というギリギリのところまでわたしを痛めつけてくれていたというのに。体調が悪いとか病気とかいうことはないとは思うが、あんまり「様子をみよう」などと流暢なことをやってもいけない。ニェネントの好物の「ネコ用のカニカマ」や「ちゅーる」をトッピングするとか、食事の出し方を変えてみようか。

 そしてわたしもまた、元気ではない。ひとつには昨日長時間外を出歩いたこともあると思うが、「ゴミを収集してくれない」という事態に、精神的にぐったり来てしまった。昨日電話した感じでは、担当者は「何もやりたくない」という感じがありありと伝わってきたし、事態が2週間後に「改善」されるとも考えられない。いちおう2週間後の次の「燃えないゴミ」の収集日を待って、もうゴミ収集機関の「クリーンセンター」に訴えるのではなく、市役所の「市民相談所」に訴えるべきだろう。わたしは「市民としての権利」を侵害されているし、このままでは生活が破壊されてしまうのだから。市役所がお話にならなければ「次の手」もあるが。

 その市役所から「新型コロナワクチン接種のお知らせ」という封書が届いている。しかし読んでみると「接種」の期日とかが決定したわけではなく、ただ先に接種に必要な書類が送られて来ただけのことだった。ワクチン接種には、まず「接種可能な時期を確認」してくれという。それから接種可能な医療機関を探し、予約してくれという。
 これを読むと、市の方では「接種可能時期」などというのはもう市の方では知らせないので、自分でアンテナを伸ばして、自分自身で「このあたりも接種可能時期になったな」ということを知り、それから予約手続きをせよ、ということのように読める。なんだかすべて「あなたまかせ」みたいで、なんだかな~、という感じである(けっきょく、わたしなどは早くても5月中旬以降になるようだが)。

 COVID-19だが、今はインドで「変異ウィルス」が猛威をふるいはじめ、一日に30万人以上の新規感染者が出ているという。これはもうほとんど、中世ヨーロッパを襲った「黒死病(ペスト)」なのではないかと思えるぐらいだ。
 恐ろしいのは今の日本の「ザル」のような防疫体制では、遅からず日本国内でも「インド型変異ウィルス」が流行することになるのではないか、ということ。そんなことになればいくらわたしでも、再度もっと徹底した「Stay Home」に取り組まなくってはならなくなるだろう。
 しかし日本ではスカ政権も小池都知事も相変わらず7月には<東京オリパラ>を開催するつもりで、しかも前に書いたように、「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」は、開催期間中に500人の看護師の確保を要請し、大きな反発を招いている。これで凄いのはスカ首相の発言で、「看護師には休んでいる人もけっこういると聞いているので、500人集めるのに問題はないだろう」とのたまわれたのだ。
 今医療関係者がどれだけひっ迫した状態で医療業務に当たっているかはみんな認識していることだろうし、スカ首相の発言は「看護師は今の状態以上に休まずに働け」と言っていることになるだろう。日本はあきれた人物をトップに据えているものだ。

 わたしは「ゴミ問題」のことなどを考えていたら、この日昼から配信されるはずだった「Dumb Type『S/N』」に関するライヴ・トークを観るのを忘れてしまった。
 午後からはかなり遅い時間まで延々と午睡してしまい、「今日は夕方からまた雷雨になるから早いうちに買い物に出かけよう」と考えていたのが「無」になってしまった。
 このまま何もしない一日にするのはやめようと、「GYAO!」でアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の『バベル』を観た。この映画も公開当時映画館で観ているはずだが、例によってほとんど記憶していない。ちょっと長めの映画なので、明日と分けて観ようかと思っていたのだが、けっこうまたまたわたしの気分が落ち込むような、ある意味陰惨な映画だったわけで、「これって、どうなってしまうだろう」というか、「ラストまで観たら少しは明るい気分になれるだろう」と、けっきょく最後まで観てしまった。

 映画を観ているとき、外では雷鳴が響くようになり、そのうちに時おり、窓の外が雷光でピカリと光ったりするのだった。
 昼間に長く午睡をしたせいで、映画を観終えてベッドに入っても、なかなかに寝つけずに、さまざまなことを考えてしまった。