ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

Dumb Type『S/N』(1995)

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 1995年、東京のスパイラル・ホールでの公演の録画、だと思う。わたしは記憶障害のせいで、はたしてこの公演をじっさいに観に行ったのかどうか、しかとしたことはわからないでいたのだけれども、今日こうやって配信された映像を観ると、やはりわたしはじっさいに観に行っていたようだ。舞台上段のステージで、パフォーマーが次々に登場してはうしろへ倒れ込んでいく演出は、単純に「カッコいいな」と記憶に焼き付いていたし、ラストの場面も「あらあら」と観ていたわたしがいた。

 もうひとつのDumb Typeの代表的な作品『pH』は、自分で当時のVHSを持っていて何度も観ているのだけれども、こちらもわたしがじっさいに舞台を観ているのかどうかわからない。もう今ではそのVHSでの映像が強く脳裏に焼き付いてしまっているので、「じっさいに観たかどうか」はまったくわからなくなってしまっている。
 2~3年前に、大学でダンスなどの表現を教えているSさんから、この『pH』のソフトを持っていたら貸してくれといわれ、貸してあげたときにDVDにも焼いてもらって返却してもらった。
 「ダンス・パフォーマンス」グループと分類されることもあるDumb Typeだけれども、ひとつの求心的な(といっていいのか)舞台としては、この『S/N』に先行した『pH』の方が、トータルな舞台作品として「パフォーマンス」だとか「ダンス」として了解しやすいところもあっただろう。
 舞台全体を大きな「コピー機」の機構と見立て、横に長いコピー用のライトが舞台を行き来する中でパフォーマーらが「身体」を提示して行く舞台構成は鮮烈だったし、作品自体が文明批評でもあった。

 そういうところではこの『S/N』は「混沌」とした舞台だった。いくつかの(7つ?)パートに分かれた舞台は、『pH』に引きつづいてパフォーマーの身体性をみせる場面もあるし、舞台に投射されるテキストに多くを語らせる場面も、登場人物らがトークを交わすシーンも、もっと演劇的な見せ方をするシーンもあった。
 ここでの『S/N』というタイトルは、「サウス/ノース(南/北)」ではなく(わたしはそう誤解していたときがあった)、「シグナル/ノイズ」のことで、音響機器に書かれていた音の「S/N比」という表記からとられているという。つまりそれは「信号(signal)」と「雑音(noise)」のことである。
 この舞台はそこから、いわばスムースに流れて行く「Signal」に対して、ある意味その「障害」であるところの「Noise」、排除されようとする「Noise」にこそ焦点をあてている。
 Dumb Typeの創立メンバーであり、この『S/N』演出の中心メンバーであった古橋悌二氏は、よく知られているようにゲイであり、当時世界を席巻したエイズに感染していることを早くに公表し、この『S/N』海外公演のさなかに日本で亡くなられている。
 この舞台でも登場した彼は自分がゲイでありHIV陽性であることを語りながら女装(ドラァグクィーン)メイクをして行く。ひとつ、この作品ではそういう「LGBT」である存在、ということも大きなテーマであり、そこに「日本に住むアフリカ系アメリカ人」や「言葉を発することのできない人」、そして「セックスワーカー」と自らを規定して生きる女性などが登場し、まさに「性的」な大勢のなかでの「マイノリティー」の発言を聞くことができる。舞台上のバックには、Love、Death、Money、Sex、Lifeなどの文字が写し出される。そして写し出されるメッセージは「私は夢見る、私の〇〇〇が消えることを(I dream, my 〇〇〇 will disappear)」という連続する文字列に変わり、その「〇〇〇」は「性別(Gender)」「国籍(Nationality)」「権利(Rights)」「価値(Worth)」「人種Race)」「義務(Duty)」「常識(Common Sense)」へと移り変わって行く。そして、「I dream, my fear will disappear」へと。

 古橋悌二氏は、メイクを終えた姿でステージ上でBarbra Streisandの「People」を口パクで(熱唱)されるのだが、そう、この時代、女装したドラァグクィーンが「口パク」パフォーマンスを行うというのは、ずいぶんと流行ったものだった。そして、Barbra Streisandもまた、ゲイ・アイコンとして人気があったものだった。
 その後、Dumb Typeは「マルチメディア・グループ」と分類されているようだけれども、この異様に洗練された部分と「混沌」とした部分とを共存させた舞台というものは、(わたしもそれなりにいろいろな舞台を観てきたけれども)やはり今でも強烈なインパクトを受けるものだとは思う。それはこの作品の持つ強い「同時代性」にも由来するものではないのか、とも思う。1995年に「同時代」として人を圧倒した舞台は、四半世紀を経た2021年になった今、やはりわたしを圧倒するのであった。
 26年前の「HIV禍」から、今は「COVID-19禍」へと変遷し、またふたたび、「全体」の前に「マイノリティ」は抑圧されようとしているように思える。
 わたしは「LGBTI」ではないのだが、今「全体」が「マイノリティ」を抑圧しようとする空気は強く感じる。そういうとき、わたしは決して「全体」の側に組するのではなく、どこまでも「マイノリティ」の側から世界を見つめ、もしもわたしが「行動」をとれるならば、「マイノリティ」の側から行動をしたい。
 この26年前の映像を観ながらわたしは、そんなことを考えているのだった。