ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-04-27(Tue)

 今週になって気温が少し下がり、昨日今日とまたパーカーを着て仕事に出た。気温の上がる昼になって帰宅するときも、パーカーを着ていてそこまでに暑いということもない。

 早朝家を出て駅に向かい、もう駅が見えてきたときに駅の左、建物のあいだに丸いオレンジの月が見えた。もう建物の影に沈んで行こうとするところ。「ここで写真を撮らなければ」とカメラを向けたのだが、ちょっと手ブレしてしまって残念。いちおう新しいデジカメにはけっこう優れた「手ブレ補正機能」がついていて、今では写真撮るときにまるで「手ブレ」のことには無頓着だったのだけれども、意外とダメなときもあるのだった。1枚だけではなく、モードを変えて複数枚撮っておけばよかったか。

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 あとで知ったが、今夜は満月になるのだという。こうやって今朝地平から沈んで行った月が、ぐるりと地球を廻ってまた夕方に東の空にあがってくるときは、地球の裏に隠れていたあいだにすっかりパンパンに肥満して、まんまるになってくるわけか。
 この4月の満月は、「Pink Moon」と名付けられているという。「Pink Moon」といえば、わたしの大好きなNick Drakeの遺した3枚のアルバムの、ラストのアルバムのタイトルではないか(もちろん、アルバムのタイトルだけではなく、同タイトルの曲もある)。そう思うとがぜん愛着もわき、今夕に曇らずに月が見ることが出来るといいと思うのだった。

 午後の4時頃に部屋から外に出て空を見上げてみたのだけれども、どうも空は薄い灰色の雲に覆われているようで、「今夜は月は見られないかな?」とは思って部屋に戻った。
 夕食を終えて、「寝る前にもういちど外の空を見ておこうか」と出てみたのだけれども、ちょっとウチの前を歩いていると、向かいの家の屋根の向こうの空が、明かりに照らされたようにオレンジ色に見えた。「あれって<月明り>ではないのか?」と屋根の向こうが見えるところまで歩いてみた。すると、オレンジ色の真ん丸い月が空に浮かんでいた。美しい。「これはいい写真が撮れるぞ」と部屋に戻ってカメラを手にまた外に出て、「写真撮るならココがいいだろう」という、すぐ近くの歩道橋の上にあがってみた。南東の空に、きれいに月が見られた。
 今回はこの朝の失敗を繰り返さないように、何枚も何枚も、撮影モードを変えて撮影してみた。「これがベストかな?」というのが下の一枚。

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 三脚など使わずに手持ちでの撮影だけれども、これだけズームして撮影してもまるで「手ブレ」していない。月のクレーター(うさぎ)もくっきり映っているし、うん、わたしはこの新しいカメラで、まずはこういう「月」の写真を撮りたかったのだ。いいカメラだ。とってもうれしい。もっともっとズームを効かすこともできるのだけれども、それで次回は「どこまでズームできるか?」というようなのを撮ってみようか。

 先日映画の『ハワーズ・エンド』を観て、ちょっと「これは脚色の失敗なのではないか?」と思ったこともあり、「今、この原作(E・M・フォースター)の翻訳は文庫本とかで入手できるのだろうか?」とふと思い、調べてみた(読みたい気もちはあるけれども、もし手軽に買えるとして買ったとしても、読むのは半年ぐらい先のことになりそうだ)。
 すると、文庫本では出ていないのだけれども、河出書房から出ている池澤夏樹氏の個人編集になる「世界文学全集」に吉田健一氏の翻訳で収録されていて、まあ手軽に入手できることがわかった。う~ん、わたしなどは「吉田健一:訳」というだけで読んでみたくなってしまうな。
 ところが、わたしが見たAmazonの「ユーザーレビュー」(つまり読者レビュー)では、その吉田健一氏の翻訳がいたるところ(実に多くのレビュー)でけちょんけちょんに貶されているのだ。そうか、そうなのか? わたしなどは吉田健一氏の訳であれば「名訳」に決まっていると思うわけだが、つまり皆さん、「海外文学は翻訳されたらすんなり日本語」ということを求めているわけなのだろう。
 わたしが今までに読んだ「吉田健一:訳」(例えばイーヴリン・ウォーとか、ウチにあるのでいえばパトリシア・ハイスミスとか)で考えれば、たしかに「日本語」としてつっかかるところはあるのだけれども、そここそが吉田健一氏の「名人芸」というか、「これは<海外文学>を日本語に移植したものなのだよ」という「翻訳者の意識」をも同時に翻訳したというものであり、単なる「翻訳屋」というものをはるかに超えた仕事をされているのである。
 まあ誰でもに、そんな「吉田健一氏の名人芸」をわかってもらうのは不可能だろうけれども、ちょっとこのAmazonの「ユーザーレビュー」はショックだった。それだけに、やっぱりその「吉田健一訳の『ハワーズ・エンド』」を、読んでみたくなってしまうのだった。

 さてわたしは、もうじき始まる連休をどう過ごそうかと考えているのだけれども、せっかく都県境を越境して東京に出て行ってやろうぜと考えても、たいていの美術館博物館は休館しているし、映画館も休館している。「ユーロスペース」だとか「シアター・イメージフォーラム」らの、わたしがよく足を運んだミニシアターは営業をつづけるようだけれども、残念ながら今上映している映画を観たいとは思わない。
 そうしたらちょうどネットの記事で、先日の新聞に「浅草橋を歩いてみよう」という特集が出ていたというのが紹介されていて、読んでみるとその浅草橋周辺、あれこれと歩いても面白そうだ。「東京の公園に行ってみようか」とも思っていたのだけれども、そんな公園も調べるとたいていは閉まっているようだった。それならば、「町を歩いてみる」というのはもともとわたしの好きなことでもあるし、上野や谷中界隈はいっぱい歩いたけれども、そういう隅田川沿いというのはほとんど歩いたことがない。「いいかも!」と思い、浅草橋界隈がわたしの「連休出歩き」の第一候補スポットにはなったのだった。