ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ハワーズ・エンド』(1992) E・M・フォースター:原作 ジェームズ・アイヴォリー:監督

ハワーズ・エンド [DVD]

ハワーズ・エンド [DVD]

  • 発売日: 2001/07/10
  • メディア: DVD

 E・M・フォースターというと、わたしはデヴィッド・リーンが映画化した(デヴィッド・リーン監督の遺作になった)『インドへの道』(1984)が思い出される。珍しくこの映画のことは多少記憶していて、主演したジュディ・ディヴィスのファンにもなったのだった。当時この映画が気に入って、原作本の翻訳も読んだはずだが、こちらの方はこれっぽっちも記憶していない。

 それでこの『ハワーズ・エンド』は、同じE・M・フォースター原作の映画をそれまでに2本撮っているジェームズ・アイヴォリーによる作品。わたしはその1本『モーリス』は観ているはずだが、まったく記憶に残ってはいない。
 『インドへの道』は、イギリス人女性とインド人男性という文化的背景の全く異なる2人の「(差別的な?)行き違い」をめぐる、インドを舞台としたドラマだったが、この『ハワーズ・エンド』は20世紀初頭のイギリスを舞台に、ドイツに先祖を持つ中産階級のシュレーゲル家の二人の姉妹と、成り上がり実業家のウィルコックス家親子らとの「関係」に、貧しいバスト夫妻とが絡んでくるストーリー。
 シュレーゲル家の姉のマーガレットを演じるのがエマ・トンプソンで、妹のヘレンはヘレナ・ボナム=カーター。ウィルコックス家の家父長ヘンリーをアンソニー・ホプキンスが演じている。この二つの家族、イギリス人とインド人ぐらいに互いの家の歴史も価値観も異なっていて、「いったいなぜ、このように親密になってしまったのよ?」と、どうも納得できないところもある。勝手に推測すると、ウィルコックス家のルース夫人(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)とマーガレットがさいしょに親しくなるわけだけれども、「家の歴史」を持たないウィルコックス家にあって唯一文化・芸術への嗜好のあったルース夫人が、「家の歴史」もあり、教養豊かなマーガレットと親しくなりたいと思ったのだとしたら、それはわからないでもない。そのルース夫人が物語の早い段階で亡くなられてしまい、「あらら」という展開の引き金にはなるのだ。

 シュレーゲル家は持ち家もなく借家住まいなのだけれども、その借家から近いうちに出なければならない、ということがストーリー展開に大きな影を投げかけているのだけれども、シュレーゲル家にはかなりの量の蔵書、骨董的な価値のありそうな古家具、先祖伝来の家宝的な古い刀剣(こいつが予想通り、終盤に「武器」としてよみがえるのだが)などがある。
 一方ウィルコックス家は買った持ち家はあるのだが、そこにはウィルコックス家とは何の関係もない肖像画などがそのまま掛けられているし、この家族で読書の習慣を持つ者はいないようだし、ちょっとしたこの家族の会話のシーンでもみんなバカっぽい(一方のシュレーゲル家の二人も、姉はどこか「いけずうずうしい」ところもあるし、妹はいささか「プッツン」ではあるだろうか?)。

 ルース夫人が亡くなられてしまったらもう接点のなさそうなこの二家族だが、「えええ!」というような(ご都合主義的な)奇妙な展開がいくつも連続し、わたしなどは何度も何度も何度も、観ながら「えええ!」と声を出しておどろいてしまうのだった。「びっくり!」である。
 観ていて「それはいくら何でもないだろう」と思うのだが、それなりの長さのある原作を2時間半ぐらいに収めようとすれば、よほどの名脚本家の仕事でもなければ、こういう不自然な作劇になってしまうということだろうか。
 そんな中でストレートに見ごたえがあるというか、観ていて理解できるのが、あまりに不幸なバスト夫妻の絡みで、「階級差異」というのでもないけれども、彼らに「あわれみ」を持つシュレーゲル家姉妹(ちょっと「あわれみ」持ちすぎね~というところがあって、ラストの悲劇の原因にもなるけれども)と、「貧乏人のことなど知らないね!」というウィルコックス家との対応の差が鮮烈。

 ちょっと脱線すれば、ここでそのバスト家の夫レナードを演じるサミュエル・ウエストという俳優、惚れ惚れするぐらいに整った、いかにも「イギリス的」な美男子だと思い、この映画のあとどんな活躍をされたのだろうかと気になるのだったが、ま、アメリカ映画でもそうだけれども、あまりに整った容姿の俳優というのはけっこう使い道がないもので、サミュエル・ウエスト氏もこの『ハワーズ・エンド』での演技も評判になったようで、その後しばらく文芸映画っぽい作品に出演されていたようだけれども、今はそこまでに活躍されていないようである(話題になった『ヴァン・ヘルシング』で、フランケンシュタイン博士を演じているらしいが)。

 ま、オーソドックスな演出で、時間経過のあるところは「暗転」で進行するのだけれども、その暗転のあとで「えええええ!」という展開にはなっているわけだ。
 ただ「これはロンドンなのか」という都会の、20世紀初頭の「馬車」が道を行き交うシーンとか、「どこまでセットなんだろう?」って眼を見張るし、その田舎の邸宅「ハワーズ・エンド」周辺の自然の美しさ、そして室内美術のセッティングなど、「いい仕事してるね~」という、映画の魅力を魅せてくれる作品だ。