ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-03-25(Thu)

 ついに、読んでいたジョイスの『ユリシーズ』を完読した。読み始めたのが、この日記で確かめるとどうも1月21日だったようなので、2ヶ月とちょっとかかったことになる。ほぼ全部、通勤の電車の中と仕事の休憩時間とだけで読み終えた。一時期ツラいときもあったけれども、終盤(第3巻後半あたりから)は面白く読んだ。
 それで今日の帰りの電車の中で、さいごのところ、つまり第18章の「ペネロペイア」のモリーの長い長い独白のラストのあたりを読んでいたんだけれども、この章は「フッ」と入り込んでしまうと「モリーの声」が聞こえてくるというか、その独白の中に自分が取り込まれてしまうようなところがあるのだけれども、また引き込まれてしまい、モリーの声の中に「太陽のような女性の声」を聞いたというか、なぜか悲しい話でもないのに眼に涙があふれてきてしまって、そりゃあ電車の中だからヤバくって、「ダメだ、ここのところは電車の中で読むのはやめよう」と、残りは帰宅してから読んだ。ところがというか、家で読むとそういうリズムから外れてしまったのか、「わたしはいったいどうしてコレを読んでいて涙したのか」という感じだった。

 とにかくは次は、やはりジョイスの『ダブリンの人びと』を読み、さらにその次は『若い芸術家の肖像』だ。そして、今は夜ウチで『ナボコフ伝』を読んでいるのが終わったら、『ジェイムズ・ジョイス伝』を読み始めるのだ。ジェイムズ・ジョイスにべったりの春になるだろう(そこまで読み終わったら、もういちど『ユリシーズ』に再トライするかもしれない。ジョイスのもう一作の『フィネガンズ・ウェイク』はどうせ読んでもわかんないだろうから、読む予定は今のところないのね)。

 ところで、この『ユリシーズ』の第4巻の巻末には3篇の解説・エッセイが付与されていたのだけれども、そのうちの結城英雄氏による「『ユリシーズ』とモリーの不義」という論考が、たいへん面白かった。
 ここで結城氏は、ブルーム夫妻とボイランとの三角関係の背後に、当時のイギリスのアイルランド支配という状況を読み、さらにアイルランドの国内事情を説明される。ここに1907年にダブリンで上演されたジョン・ミリントン・シング作の『西国の伊達男』という劇をめぐる騒動があり、観客はこの作品を「不道徳」と断罪したらしい。このニュースは当時アイルランドを離れてローマにいたジョイスの耳にも入り、『ダブリンの人びと』執筆を早めたらしい。
 わたしがここで興味を持ったのは、ジョイスに影響を与えたほどに(特に女性の)「性」に対して革新的意識を持っていたシングに対抗して、当時のアイルランド民族主義者らが打ち出した「反論」である。この論争を詳しく書くととてつもなく長くなってしまうのでとにかく結論だけを書こうと思うが、民族主義者らの考え(女性観)というのはつまり女性に「忍従」を説き、文学は国家に奉仕するべきとの思想の下、「女性は家に、個人は国家に忍従するべきである」と言うのである。民族主義者にとって個人的な問題は「愛国主義」という「大きな物語」のために捨象されてしかるべきであり、個人は「国家」という想像上の構築物に向け統合される必要があった。
 もちろんこれはジョイスの忌み嫌う思想ではあるが、この「女性は家に、個人は国家に忍従するべきである」というのは今の日本を覆っている思想ではないか。つまり今の日本は、百年以上前のヨーロッパの民族主義者らと同一の思想に支配されているのではないのか。
 わたしはこのあたりのヨーロッパなどの社会思想史、社会運動史をほとんど知らないが、ちょっとちゃんと学んでみようかという気にはなるのだった。

 などと思っていたら、まさにこの日本で、(かつて久米宏古舘伊知郎がキャスターをつとめた)「報道ステーション」という報道番組がYouTube向けのCMをリリースし、それが猛反発をくらって「炎上」している。これがヤバいのだが、若い女性が画面に向かって以下のようなことをしゃべる。

「会社の先輩、産休明けて赤ちゃん連れてきたんだけど、もうすっごくかわいくて」
「どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかってスローガン的に掲げている時点で、『何それ、時代遅れ』って感じ」
「いい化粧水買っちゃったの。もうすっごいいいやつ。それにしても消費税高くなったよね。国の借金って減ってないよね」

 もうメチャクチャである。あらためて書くと、「世界経済フォーラム(WEF)」が2019年に発表した「ジェンダーギャップ指数2020」で、日本は153国中で121位という惨憺たる評価であった。それを日本で「ジェンダー平等」というのが「時代遅れ」というなら、まさに上に書いた、百年以上前のアイルランド民族主義者的な主張ではあるだろう。このCMが、語り手の女性が「ウチの会社ではもう『ジェンダー平等』なんか達成されてるよ!」とでも言ってるつもりだとして、外に目を向ければぜ~んぜんそうではないことに気付くはずだ、そうあるべきだ、そのための「報道番組」なのではないのか(このCMがつくられたことで、日本のジェンダーギャップ指数順位はさらに10~20ぐらい下落するのではないだろうか。最下位は目の前だ!)。だいたい今ごろ「消費税高くなったよね」なんて言うのはどこのお姫様なのか。「国の借金」というのがどういうものなのかも「報道」が伝えるべき使命だし、そもそも「国の借金」があったとしても、「消費税」はその返済のために設けられた税制などではない!

 さすがに批判が相次いで、このCMは削除されてツイッターに「謝罪文」が掲載されたらしいけれども、「わきが甘い」どころの話ではない。まあ、こういうのが「今の日本」なわけだ。
 「今の日本」といえば、本当に今日からオリンピックの「聖火リレー」が始まり、テレビはそのことを賛美するような報道ばっかり。まあこの問題まで書き出すとさらに長くなってしまうから、今日はこのあたりで。

 勤め先で、賞味期限の過ぎた「非常食」のアルファ米の「チキンライス」と、「乾パン」とをたくさんいただいてきた。今でも前にもらってきたアルファ米は活用しているけれども、そのまま置いておいても廃棄するだけだということで、またいただいてきてしまった。アルファ米はそのままではイマイチの味で、いろいろ試行錯誤した結果、タマネギと鶏肉を加えて炒め、たまごをかぶせて「オムライス」にするとけっこうイケることがわかったのだが、先日ネットで「アルファ米の応用法」みたいなところをみると、まさにわたしがやってるのと同じようなレシピの「オムライス」が出ていたので、ほほえんでしまった。「乾パン」の方は、どうやら工夫すれば「クッキー」とかつくれそうだ。そのうちにトライしよう。

 今日もまた、昼食には昨日と同じくスパゲッティミートソースをつくった。やはり美味しかった。1個25円のトマトを使っているので、原価は100円ぐらいのものだろう。
 夕食には久しぶりに「ジャーマンオムレツ」なるものをつくった。この料理は、わたしがひとりぐらしを始めていちばん早い時期につくり方をマスターした一品なので、なつかしい思いがする。オムレツの中に炒めたジャガイモとタマネギをぶち込むだけだけれども、かんたんにボリュームのある料理がつくれる。
 ジャガイモの下茹でに新しい電子レンジを使ったら、あっという間にやわらかく調理できたので、「さすがだね」と、感謝した。
 今日は毎日何かアップしている写真がないので、「困ったときのニェネントくん頼み」。ニェネントくんに登場してもらう。

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