ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-03-24(Wed)

 腕時計の話のつづきなのだけれども、腕時計には秒針がついている。スマホでは秒まではわからないので、これが便利なときがある。
 今わたしは朝の通勤のときにいちど乗り換えをするのだけれども、これが微妙なタイミングの乗り換えになるというか、先に乗っていた電車が乗り換え駅に到着する時間によって乗り換えにいいタイミングで間に合うか、それとも乗り遅れて次の電車まで「5分間待つのだぞ」となるケースとがある。これがほんとうに微妙というか、ちょっと電車の到着が遅れるとわたしとしてはせいいっぱい早足で歩かなくてはならない。
 よく、若い人が乗り換えで駅の通路を走って行くのを見かけたりするけれども、わたしにはそんな元気はない。早足で間に合わなければあきらめるわけだけれども、これが腕時計で電車の到着時間が秒単位で確認できると助かるのだ。つまり、乗っていた電車が00分に駅に到着すると、乗り換える電車が来るのは03分で、その3分間で乗り換え線のホームにたどり着かなくてはならない(言っておくと、その乗り換え駅でのホーム間の距離はけっこうあって、まあ2~300メートルぐらいあるんじゃないだろうか)。
 それで、電車が駅に到着するのが正確に00分00秒ちょうどぐらいならば、だいたい間に合う。10秒ぐらいの遅れ、00分10秒ぐらいでも早足で行けば間に合うだろう。もちろん、乗り換える側の電車が早く到着してしまったりしたらアウトだけれども、けっこう東京メトロはそのあたり厳格というか、「早すぎる到着」というのはないのである(早すぎれば途中駅で少し長く停車して調整するようだ)。しかし、「大幅な遅れ」は問題外としても、ふだん到着が20秒とかそれ以上、1分ぐらい遅れてしまうことはある。これが問題なのである。
 そこで電車が乗り換え駅に到着するときに腕時計の秒針を見て、時刻通りに到着するかどうかを確認するのである。到着の遅れが10秒ぐらいだと、すっごい早足で歩けば間に合わないこともないが、どっちかというともうあきらめたい。つまり、到着が10秒以上遅れたならばムリして早足で歩くのをやめて、「今日はもう次の電車にしよう」とゆっくり移動することにしている。出社時刻にかなり余裕をみているので、5分ぐらい遅れても問題はないのだけれども、まあいろいろあって、早いに越したことはない(それで時計を見ていてわかったのだが、メトロというのは本当に時刻表通りの運行で、先に書いたように早すぎる到着の「フライング」というのは基本にはなく、普通は秒単位で正確な運行、遅れても10秒ぐらいの範囲で動いているのだ。それでも、たまに30秒とか1分とか遅れることはある)。
 だからそういう、「今日はOK」だとか、「今日は間に合わない」とかいうのを電車が駅に到着するときに見極めるために、腕時計が大きなはたらきをするのである。

 今日は職場周辺の桜並木もいよいよ「花見ごろ」という感じになった。わたしの出勤時間には人の姿もほとんどないけれども、もっと陽が昇ってからこの通りをみると、カメラを持って桜を撮影している人の姿がけっこう見られるようになる。

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 しかし、これだとこの週末にもすっかり満開になり、週が明けたならば花も散りはじめ、そのうちに「桜吹雪」みたいなことになってしまうだろう。そしてわたしたちには、年末の「落ち葉」の掃除のように、道に舞い散った桜の花びらの掃除が始まることになるのだ。う~ん、悩ましいことだ。

 仕事の帰りに駅前のスーパーで「見切り品」の4個で100円のトマトを買い、帰宅してからそのトマトを1個使い、にんにくとタマネギとひき肉といっしょに炒め、ケチャップとコンソメ少々で味付けし、ミートソーススパゲッティにした。これが予想外に美味で、「明日もまたコレをつくろうか」と思うのだった。

 そして夕食には、冷蔵庫のチルド室に入れっぱなしにしてあるブロッコリーを早く使わなくっちゃと思って取り出してみると、もうすでに瀕死の状態というか、「これって菜の花なの?」みたいに黄色くなってしまっていて、はたして食べられるのかどうかもわからなくなっていたのだけれども、レシピを検索して「ブロッコリーとキャベツのうま煮」というのにトライすることにした。なんか肉系が入ってないのが寂しいと思って、ウィンナをスライスして入れてみた。けっこう調理はかんたんであった。
 こちらも出来上がってみると予想外に美味しく、ウィンナなんかプラスする必要もない味だった。これも、また機会があればつくろうということにした。

 今日もまた「GYAO!」で、今日まで無料配信の映画を観るのだった。今日観たのは石橋義正監督の『ミロクローゼ』。映画館で公開されたときに「行きたい!」とは思っていた映画だったけれども、見逃していた映画だった。
 これで3日も連続して夕方とか夜に映画を観てしまい、つまり今日も読書はまるで出来なかった。