ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ひまわり』(1970) ヴィットリオ・デ・シーカ:監督

ひまわり HDニューマスター版 [DVD]

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  • 発売日: 2009/12/02
  • メディア: DVD

 この映画は日本で大ヒットしたのね。日本も終戦時にシベリア抑留で帰国できない人がおおぜいいらっしゃったから、身近なことと感じたのかもしれない。主題曲も大ヒットしたものだったけれども、これってヘンリー・マンシーニの作曲だったのだな。ちょっとニーノ・ロータ風だとも思ったものだったが。

 作品はイタリア・フランス・ソビエト連邦アメリカ合衆国の合作映画で、当時ソ連が西側に初めて協力した映画だということで、ちょっとソ連も「自国のイメージ・アップ」を企てたようなところもある(マストロヤンニがリュドミラ・サベーリエワと暮らしていた村の背景に大きな円錐形の建造物が見えたけれども、アレはどう見ても「原子力発電所」で、ソ連としては当時は西側諸国に「どうだ、スゴいだろ」という威圧を与えるつもりもあったのではないかと思う)。

 ジョバンナ(ソフィア・ローレン)は海岸で知り合ったアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)と結婚するが、アントニオはアフリカ戦線行きから免れるため、狂気を装い病院に入院する。ウソがばれてしまい、懲罰的にアントニオはロシア戦線に送られてしまう。
 戦争は終わり何年も経つが、アントニオは帰国しない。ジョバンナは駅などでロシアからの帰還兵にアントニオのことを尋ねる日々をおくる。ついに「アントニオを知っている」という男と巡り会い、彼の話からアントニオは敗走中に倒れ、置き去りにされたことがわかる。
 ソ連ではスターリン崩御したこともあり行き来がいくらか出来るようになり、ジョバンナは単身ソ連へと向かうのだった。
 ソ連で、言葉もわからずにただアントニオの写真を人々に見せてまわるジョバンナ。「外務省へ行け」とサジェストされ、外務省の役人がジョバンナをイタリア軍兵士が数多く眠る墓地へと案内する(この墓地のそばに、冒頭にもラストにも登場する一面の「ひまわり」畑がある)。なおもアントニオの生きていることを信じるジョバンナはひとりで行動し、現地で「ロシア人」に同化して暮らすイタリア人元兵士にも出会う。「アントニオもそういう生活を?」という希望を持って探すジョバンナは、ついにある村で写真を見せた老女が「こっち、こっち」と案内するのについていく。そこには、若い女性マーシャ(リュドミラ・サベーリエワ)が幼い子供と暮らしていて、「もうすぐアントニオが仕事から戻る」と、ジョバンナを駅に連れて行く。

 「戦争が引き裂いた男女の仲と、その残酷な再会」というと、わたしなどはマルグリット・デュラスが脚本を書いた『かくも長き不在』を思い浮かべてしまうのだけれども、この『ひまわり』でも、アントニオは雪の中から九死に一生を得てマーシャに救出されたときには記憶を失っていて、自分の名前すら思い出せなかったという。

 ソ連でマーシャと家庭を持ち、子供までいるアントニオを目にしたとき、ジョバンナは悲しみのあまりそのアントニアの乗ってきた列車に飛び乗り、列車の中で号泣するのであった。

 イタリアに帰ったジョバンナは、持っていたアントニオの写真を破り捨て、彼の持ち物などすべてを処分して「新しい生活」に踏み出す。

 また何年か経って、ソ連のアントニオはマーシャの許しを得て単身イタリアへとやって来る。アントニオは何とか調べたジョバンナの電話番号に電話し、嵐の夜にジョバンナの部屋を訪れ、「やり直そう」と訴える。しかし、隣室にはジョバンナの赤ちゃんが泣き声をあげるのだった。もういちどの別れ、さいごの別れは、アントニオが戦地に赴くのを見送った同じ駅の同じホームだった。

 典型的な「メロドラマ」というか、わたしだってそれは観ていて涙を流すのだが(あの音楽だし)、どうもこう、物語の展開とか演出とかカット割りとか、どこか釈然としないものが残る映画だと思うのだった。

 そもそもが物語展開で、終戦後にアントニオの帰りを待つジョバンナからスタートし、そこから「回想」として二人が知り合って結婚し、アントニオが出征するまでが思い出される形式なのだけれども、これは別に「回想」にしなくても、時系列順にやっていった方がよかったように思ってしまう(まあ、「回想」にすれば描写しなくていい事象とかはあるわけで、尺を短くする必要があったのかもしれないが)。
 あとやはり、ソ連の外務省の役人があまりに親切というか、いつの間にか彼女に付き添い、彼女ひとりのために案内をしてくれるというのが非現実的というか、ジョバンナが「外務省」に入って行くと次のシーンではウクライナあたりの墓地を役人が案内してるわけで、ここはもう1シーン、「どのように役人はジョバンナを案内するに至ったか」という説明は必要ではないかと思った。
 まあ「非現実的」といえば、そもそもロシア語も出来ないジョバンナが、ただアントニオの写真をかざすだけで「砂浜に落ちている一粒の砂粒を探すような」アントニアの探索を成し遂げてしまう、というのはやはり、いくら「映画」でも「映画的」すぎてしまうような。

 それはもう、ソフィア・ローレンマルチェロ・マストロヤンニとの、意外と若やいだ演技、そして円熟の演技をたっぷりと堪能させていただけるし(ソフィア・ローレンはほぼ出ずっぱりだし)、そこにアクセント的に若いリュドミラ・サベーリエワを配してのドラマは当時の人々を喜ばせたことだろうが、ちょっと彼女の出番は少なかった(当時、リュドミラ・サベーリエワはソ連映画戦争と平和』でナターシャを演じ、日本を含めて国際的人気のある女優さんだった)。