ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『アポロンの地獄』(1967) ピエロ・パオロ・パゾリーニ:監督

アポロンの地獄 [DVD]

アポロンの地獄 [DVD]

  • 発売日: 1999/11/26
  • メディア: DVD

 この映画が日本で公開されたのは1969年だったという。政治・文化・芸術それぞれが絡み合って「激動」を生み出した時代に、このような映画が日本で公開されたということも、またもうひとつの「激動」の核にはなっていたのではないだろうか(この映画によって、松本俊夫は『薔薇の葬列』を撮ったのだという)。

 映画はもちろん、ソポクレスの『オイディプス王』なのだけれども、その本編をはさむように、そのオイディプスの物語に対応する現代の家族のストーリーが短かく描かれている。この「現代篇」はパゾリーニ自身の自伝的ストーリーなのだという。パゾリーニ自身が、「オイディプス」だったというのだ。
 そのこと自体は「そうなの?知らんがな」みたいなものだけれども、本編のギリシア悲劇が、(のちにフロイトが「エディプス・コンプレックス」と定義したように)時代を越えた普遍的な人間の(男の)オブセッションであることをしっかりと伝えるものではあった。

 さて、その「本編」を中心に見て行きたいけれども、やはりまず印象に残るのはそのロケーション、美術、衣装(そして音楽)で、ここにはわたしらが知るところの「古代ギリシア」的な意匠は皆無である。場はどこも荒涼とした荒地であり、王族の住む「城」は、もはや崩れかけた遺跡のようだ。人々の衣服は、王族といえども「華美」とはいえない粗末な布づくりではある。武装した戦士の兜も、まるで「モンティパイソン」の映画に出てくる騎士みたいだ。
 ここで見られる、虚飾を廃されたまさに「むき出し」のような背景、そして登場人物らは、物語の様式化を避け、もっともっと「野生」の、登場人物らの「情念」をこそ表わすようであり、わたしはこれを観ていて、この映画の製作されたのと同じ時代の、日本の「状況劇場」みたいなものを思い浮かべてしまうのだった(じっさい、この映画で予言者テイレシアスを演じていたのは、当時のアメリカの前衛劇団「リヴィング・シアター」の創始者のジュリアン・ベックであり、この映画と「前衛演劇」との親和性を思わせられる)。
 使われていた音楽も興味深く、プロローグとエピローグの「現代」ではモーツァルトの弦楽曲が使われていたけれども、本編で使われていたのは日本の「神楽」であったり、インドネシアのケチャであったり、おそらくは東欧のロマの音楽だろうと思われるものが使われていたりする。こういう、音楽の地域性やジャンルを混合するようなやり方もまた、かつての「前衛」の手法ではあっただろうか。

 映画としての演出は、わたしは原作を読んでいないのでわからないのだけれども、俳優の動きを少なくし、主に「対話」で進行していく展開というものは、「ギリシア演劇」的なものなのかもしれない。特に、ただその場に立ちつくすだけの城の人々の姿などは印象に残る(さすがに、実父であったライオス王とその従者をオイディプスが殺害する場面は走り回って動きまくるのだが)。
 わたし的には、オイディプスがテイレシアスと顔のアップで切り返しながら「いちばんの謎」を突き詰める場面、それを離れた自分の部屋で聞いているイオカステとの場面がかなり強烈だった。

 観終わるとやはり、それまでのヨーロッパ映画にあった「西欧的(絢爛豪華な)美」を遠ざけ、(その内容にもマッチした)もっと土着的、情念的な世界をこそ顕現させた映画として、画期的だったのではないかと思う。