ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『サムライ』(1967) ジャン=ピエール・メルヴィル:脚本・監督

サムライ [DVD]

サムライ [DVD]

  • 発売日: 2016/05/27
  • メディア: DVD Audio

 これはなかなかに印象的な作品で、それはアンリ・ドカエモノクローム・タッチの乾いた映像の力によるものが大きいと思うのだけれども、説明をバッサリと切り落としたメルヴィルの脚本・演出がその見事な撮影を支えている。

 まずは冒頭の、大きな窓が二つの殺風景な室内。その窓のあいだに鳥かごがあり、小鳥がピイピイと鳴いている。右側に紫煙があがり、そこにアラン・ドロンの演じる一匹狼の殺し屋がいる。ちょっと病的なまでの、ドロンの暮らしぶりが切り取られて画面に浮かび上がる。
 彼は貧窮しているわけではなく、おそらくは身を隠すためにも(いや、それだけではないだろうけれども)そのような環境に身を置いているのだろうけれども、映画で彼が請け負う「殺し」の仕事の舞台となるジャズクラブ(このクラブも色彩的になモノクロームなのだが)との対比がまぶしい。
 どうみてもアラン・ドロンの手抜かりから、彼はクラブのピアニストに犯行後の姿を目撃されるし、警察の徹底した捜査網に引っかかって連行、取り調べを受ける。前もって仕込んでおいたアリバイ工作や、意外なピアニストの「否認」もあって彼は釈放されるが、警察は彼に目をつけているし、「殺し」を依頼した組織も、警察に連行された彼に不信の目を向ける。ここでの跨線橋の上での彼と組織との闘争が、それまでとタッチが変わってスピーディーで緊迫したものがある。

 (特にアラン・ドロンは)ほとんどセリフのない、想像でまかなう余地の大きな作品だけれども、ここで彼は「警察」と「依頼者」との双方向の「敵」を相手にすることになり、クラブのピアニストに会うことで背後に隠れた依頼者の「黒幕」を突き詰めようとする。警察でピアニストが彼を「犯人でない」と否認したのは、ピアニストが背後関係を知っているからという推理である。
 警察は彼の部屋に盗聴器を仕掛けるが、これは鳥かごの小鳥の様子から彼に「誰かの侵入」が知られて失敗する(ここでの「小鳥」の使い方は秀逸)。組織の方もふたたび彼とコンタクトを取ろうとし、新しい「殺し」の依頼をするのだが、アラン・ドロンは逆に「黒幕」の依頼主の素性を知る。

 ここで彼は、「もう生きて帰ることはないだろう」との意思を見せて、部屋を出る。このときに彼がかごの小鳥に一瞥を与えて、それは「さようなら」とでもいうことなのだろうと、見ていてもわかる。ここで「そういうつもりならば小鳥をかごから出してやればいいじゃないか」という気にもなってしまうのだが、映画としてここで小鳥を逃がしてやると、あまりにあからさまに彼がもう死ぬつもりなのだとわかってしまう。それは彼のさいごの行動から「神秘」を奪ってしまうことになるだろう。

 このあと、パリの地下鉄(メトロ)での、インパクトある警察との緊迫した逃走~追走劇があり、彼はさいごにジャズクラブに行き、ピアノを奏くピアニストと対峙するわけである。

 ラストの人々の中での二人の対峙もみごとなのだけれども、はたして、アラン・ドロンはその前にけっこうな大金を手に入れたあとで、わざわざ死地に向かわなくてもいいではないかとも思えてしまうのだけれども、これは「契約」の筋を通すということではあるし、映画の冒頭で『武士道』からの引用があったように、ここではつまり、「武士道とは死ぬことと見つけたり」をやったわけである。

 大きな作品ではないけれども、それだけに「一人の男の生き方(こういうとき、人はよく「生きざま」という言葉を使うのだけれども、わたしは「生きざま」という言葉が大っ嫌いなのである)」が、くっきりと浮かび上がる作品ではあったと思う。アラン・ドロンの好演技も心に残る。