ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ONE DAY PINA ASKED... / ある日、ピナが…』(1983) シャンタル・アケルマン:監督

 わたしはなぜか、シャンタル・アケルマンのことを『GOSHOGAOKA』のシャロンロックハートと勘違いしてしまっていて、「これはぜったい観なければ!」と意気込んでいたのだけれども、シャンタル・アケルマンは(ある意味で)普通の映画(映像)作家なのだった(わたしは彼女の映画は何ひとつ観たことがなかった)。
 この1時間弱の作品は、撮影スタッフが5週間にわたってピナの「ヴッパタール舞踊団」に密着して撮った映像を、ほとんど説明(ナレーション)を加えずにある面でランダムに提示しただけの作品。ダンサーらへのインタヴューも基本はないのだが、タイトルの『ONE DAY PINA ASKED...』とは、ダンサーの一人へのインタヴューで、「ある日ピナがリハーサルにやってきて、私たちに「愛という言葉から何を連想するか聞いた」というところから来ている。
 そのあとは舞踊団のリハーサル、実際の上演からの映像から切り取られた映像がつづくのだけれども、この作品を観て、「そうか、ピナ・バウシュという人はこういう作品をつくる人なのか」という感想を持つことはできるだろう。しかしわたしには残念ながら、実際のピナの作品の舞台を観て受けた「感動」というものの幾分の一かの「感動」をも受けることはなかった。
 そういうところでは、後年ヴィム・ヴェンダースによる『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』の方が、はるかにすぐれた作品だっただろうと言うしかない。

 わたしは、シャンタル・アケルマンという映像作家について知ることは何もないのだけれども、この作品を観るかぎり、「わたしはただ記録する人、<ピナ・バウシュ>は、提示する人なのだ」という意識の中で映像を記録しているように思えた。そういうところで、シャンタル・アケルマンはあくまでも「外」からピナを観ようとしている。そのことが、この「作品」を観る人にどのような<ピナ・バウシュ>像を喚起するのかということに(いい言葉が浮かばないが)熱中しすぎているように思った。

 ある面でこの作品は、ピナ・バウシュの作品に慣れ親しんだ人に「バックステージ」を提示するような作品であり、逆にそういう「慣れ親しんだ」人々にとっては、たいていのことは「そういうことは承知している」ということではないだろうか。リハーサル映像は貴重なものかもしれないけれども、「ダンス」というか、ひとつの「公演」のバックステージとして、正直言うとあまり喚起されるものもなかったのだった(しかし、冒頭の『私と踊って』の短かい映像はいろいろな意味で相当に良かったと思った)。