これはマゾッホの有名な『毛皮を着たヴィーナス』をそのまま映画化したのではなく、『毛皮を着たヴィーナス』を舞台化しようとするディレクターと、そのオーディションにやってきた女性との「二人芝居」である。登場人物はエマニュエル・セニエとマチュー・アマルニックの二人だけで、場所もオーディションのための人のいなくなった劇場に限られている。想像できるようにもともとは「二人芝居」としての舞台作品で、それをポランスキーが才気たっぷりに映像化したのである。
「もうオーディションも終わったからわたしゃ帰るよ」という脚本家・演出家のトマ・ノバチェク(マチュー・アマルニック)のところに、「遅れちゃったわよ」というワンダ・ジュルダン(エマニュエル・セニエ)があらわれる。「なんやねん、この女?」という感じでトマはワンダに詰問するのだけれども、やっぱ、このワンダという女性はバカっぽい。追い返そうとするのだが、意外とそのあとの会話が面白い。「何も知らないバカ女」だと思っていたのに、ちゃんと脚本を読みこんでいて諳んじてるし、ルー・リードの曲のことも抑えているし、原作の解釈も的を得ているのだ。しかも舞台の照明のオペレートも完璧に出来る。
ここまでが映画始まってから15分ぐらいなんだけれども、その脚本の妙と演出のキレで(そして主演二人の演技で)、あまりに面白いというか、わたしはもう笑いっぱなしだった。ここまではもう最高! 笑いながら、「コレ、映画館でこんだけ笑いつづけてたらぜったい周囲の観客から顰蹙モノだね」とか思う。
つまり、それから「オーディション」ということでトマもまた一方の役を演じ、ここで「二人舞台」と、その脚本の解釈、またトマの私生活のことまでも俎上にあげられる。
ワンダはトマの婚約者のことも仔細に知っているし、「なんだよ、コレはトマに向けられた<刺客>だな」という解釈になるだろう。
まさにその通りで、ワンダが告発するのはトマの「女性蔑視」、「差別意識」であり、ここでまさに映画は原作の「毛皮を着たヴィーナス」のねじれた再現になって行く。
しかい、しかしだね、こういう、「男」の女性への性的抑圧意識をテーマにしてしまうとなると、あなた、あなただよ、ロマン・ポランスキー自身のペドフィリア性向はどうなのよ!と問いただしたくはなってしまうのが「人情」というものではあろうか。
ポランスキーが、自分の伴侶であるところのエマニュエル・セニエのことを「どうだ、すっごい女優だろう?」という気もちもわからないわけではないが、あんたが「男性演出家の女性への差別意識」を撮っていいのかよ?という気分はぬぐえない。
それともこの作品は、ポランスキーの「自分の性癖」への懺悔、という作品だったのだろうかね?