ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ライク・ア・キラー 妻を殺したかった男』(2016) パトリシア・ハイスミス:原作 アンディ・ゴダード:監督

 パトリシア・ハイスミスが1954年に発表した、長編第2作(ハイスミス名義で出版出来なかった『キャロル』を数えれば3作目)『妻を殺したかった男(原題:The Blunderer)』の映画化。『ライク・ア・キラー』というのはあちらでのタイトルではなく、原題は「A Kind of Murder」だけれども、『ライク・ア・キラー』の方がいいタイトルみたいに思える。

 原作は実に楽しい作品で、わたしはこれがハイスミスの作品の中でも大好きで、この日記にも読んだときの感想を書いている。楽しく書けた感想だった。いちおうココにリンクさせておきますので、よろしければ読んで下さいませ。

『妻を殺したかった男』パトリシア・ハイスミス:著 佐宗鈴夫:訳

 さてさて、そういうわけでちょこっと楽しみにしていた映画。監督のことも知らないし、知っている出演者も出てはいないけれども、どうだろう?
 映画はいきなり映画館の外景からはじまり、そういうのは原作と同じだったと思うのだが、その映画館で上映されているのがエリザベス・テイラー主演の『バターフィールド8』だとわかる。しかしこの『バターフィールド8』公開年度は1960年であり、ハイスミスの原作刊行年1954年以降のことであり、つまりこの映画は原作の時代を若干ずらせたものであることがわかる。
 まあそのことはそんなに大きな変更ではないだろうけれども、その後、人名などを含めて原作からの大きな異同がない中で、主人公のウォルターの職業が変えられているのが気になる。原作ではウォルターは事務所から独立しようとしている弁護士なのだけれども、この映画では「建築設計家」になっていて、しかも彼は片手間に小説を書いてもいることになっている。ちょっと記憶があいまいなのだけれども、原作のウォルターも片手間に「小説」ではなく「エッセイ」を書いたりしていたかもしれない。しかし、ここで主人公がそういった「ミステリー」的な小説をも書いていたというのは処理として安易で、それでは何もかも「主人公はミステリー小説を書いていた」ということで済まされてしまうではないか。これは主人公の内面を描くことをスルーしてしまう、実に安易な手法である。
 で、「建築設計家」というのは、ハイスミスの作品ではこの前の『見知らぬ乗客』の主人公の職業ではあった(ヒッチコックの映画では「テニス・プレイヤー」になってしまっていたが)。

 それでようやく「映画そのもの」だけれども、どうもこの監督・スタッフらはこの原作を「模倣犯」になろうとした男のかかわった(ドツボにはまった)サスペンス/ミステリーとして描きたかったようで、原作にあった「この主人公、バ~カ!」というような意地悪な視点が、ほとんど消えてしまっている。これはもうほとんど「致命的」欠陥だと思えるのだが、もうひとつ、主人公と「さいしょの殺人犯」キンメルを追い詰めようとするコービー刑事の性格づけ、肉づけに失敗している。この強烈にサディスト的人物の存在があって主人公のウォルターは墓穴を掘って行き、バカな行動を繰り返したともいえるし、コービーに追い詰められたキンメルの心理描写も注目に値するところだった。まあ若干そういうシーンもあるのだけれども、この映画ではあまりに弱い、弱い(しかも、この映画ではコービーはさいごに間違えられてキンメルに刺殺されちゃうし)。
 主人公のウォルターも多少はバカな行動を取るのだけれども、これも弱い、弱い。
 あとやはり、ハイスミスの小説では冒頭に描かれるキンメルの「妻殺し」を真相不明のままにしておいて、ラスト近くにようやく「犯行シーン」を回想させるというのも、意味がなかったというか「逆効果」ではなかっただろうか。

 映画として「夜のシーン」が多く、暗い画面が深刻さを感じさせられる。こういう場面での撮影/照明スタッフらの尽力はわたしにも心に残るものだったけれども、あまりにシリアスな方向に映画を向けてしまったのではないかと思う。
 わたしとしてはハイスミスの原作を読んだ思い出からも、テレビでこの作品を観ながら画面を指さして「はははは! こいつバ~カ!」とか不らちな感想を持って楽しみたかったのだけれども、残念ながらそれは果たせなかった。