ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『Laughter In The Dark(悪魔のような恋人)』(1969) ウラジーミル・ナボコフ:原作 エドワード・ボンド:脚本 トニー・リチャードソン:監督

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 この映画は当時日本でも『悪魔のような恋人』のタイトルで公開され、わたしも観たような記憶もあるのだけれども、何しろ前世紀のことなので何も記憶していない。それでその後なぜか、この作品は日本はおろかイギリスでもアメリカでもいまだにDVD化されていないらしいのだが、それがYouTubeに低画質ながらアップされていたのを見つけて観た次第。当然日本語字幕などついていないが、自動生成の英語字幕などを頼りにしながらの鑑賞(わたしは字幕なしに全部の英語を聴き取る能力はないのだけれども、かなりデタラメな自動生成字幕の誤りを頼りに、正しくは何と言っているか推測出来たりはするので役に立つ)。

 もちろん原作はウラジーミル・ナボコフの、彼が自ら英訳した『Laughter In The Dark』である。監督したのはトニー・リチャードソンで、この人も今は忘れられてしまった感じだけれども、この頃はイギリスの俊英監督というか、さまざまな文芸作品の映画化で名を成し、特にアラン・シリトーの『長距離ランナーの孤独』の映画化は評判になった記憶がある。
 それで、この作品の脚本を担当したのがエドワード・ボンドで、この人はイギリスでは著名な劇作家でもあり、映画との関わりでいえば、あのアントニオーニの『欲望』の脚本にも関わっている。イギリスの演劇界では重要な人物ではあるのだ。

 この映画でのストーリー展開、人物設定は原作とほぼ同じだけれども、役名はかなり変更されている。アンナ・カリーナが演じるヒロインは「マルゴ」で同じだが、マルゴにほだされる男はエドワード・モアという名になり、ニコール・ウィリアムソンという俳優が演じている。この役はさいしょはなんとリチャード・バートンが演じるはずで、かなりの部分を彼で撮影を終えていたらしいのだけれども、あまりに遅刻したり予定をすっぽかすことが続いたため、監督が彼で撮り続けることをスポイルしたらしい。マルゴの恋人役も名前は変わっていたが、ちょっと聞き取れなかった。役者も知らない人。

 原作と比べてけっこういろんな過程をすっ飛ばして、時間軸を短縮してぐんぐんと進行して行くのだけれども、それでもポイントは逃さずに原作の流れはきっちりと押さえている印象はある。ただ、時制は原作から離れてこの映画製作時の1960年代にされている(ブラスの加わったロックバンドの演奏するパーティーの場面があるし、アンナ・カリーナのファッションは60年代風である。)。
 まあ観ていて驚くのは、アンナ・カリーナがばんばん脱いじゃうし(おしり側からだけれども、フルヌードもあるよ!)、水着ショットも満載、ベッドシーンも盛りだくさんなわけで、彼女のキャリアの中でもコレは突出した作品ではないかと思ったりする。ただ、残念ながら、原作でのロリータにも近接した「幼女性」みたいなもの(原作ではマルゴは16歳という設定である)を彼女に求めるのは、そりゃあムリってもんですよ(この作品公開時で彼女は29歳になっていた)。
 ニコール・ウィリアムソンという役者さんもそれなりのキャリアがあるみたいだけれども、ここでは「押しが弱くって彼女の言いなりになってしまう情けない男」を好演していてイイ感じで、「はたして、こういうテイストをリチャード・バートンで演じることが出来たのだろうか?」という気にはさせられる。

 原作からの「改変」で面白かったのは、マルゴが「元カレ」をエドワードのもとに呼び込むのに、「彼は"Queer"なのよ」とエドワードに語って安心させるわけで、じっさいに彼はエドワードの前で、エドワードの雇っている園丁に「興味津々」というフリをしてみせたりする。
 あと、やはり圧倒的に面白いのは、エドワードが失明したあとに、彼が自分の努力で住んでいる環境を知ろうとして、「むむ、これはおかしい」と気づく過程で、さいごには原作通りに外から来た妻の弟に真相を知らされるとはいえ、その前に自分のほかに「男」がいることを自力で解明し、男と対峙していることとか。これは楽しめる「改変」だった。

 公開当時は日本でも、失明して黒メガネをかけてアンナ・カリーナといっしょの主人公が「あまりにゴダールにそっくりではないか」との評もあったけれども、アンナ・カリーナが中盤で着ていた真っ赤なワンピースって、『気狂いピエロ』で彼女が着ていた服と「おんなじ」なんじゃないか、とは思った。

 とっても楽しめる映画で、「いったい何でDVD化されていないんだ?」ということは強く思ったのだった。というか、ナボコフ自身はこの映画を観ているのだろうか? 観たならばどんな感想を持ったのか気になるところだけれども、少なくとも彼の「書簡集」には、この映画に言及したところはなかった。