ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-10-20(Tue)

 今、ナボコフの自伝『記憶よ、語れ』と、同じナボコフの小説『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』とを同時に読んでいて、電車の中とかでは『記憶よ、語れ』、仕事の空いた時間とかには『セバスチャン・ナイト』を読むのだけれども、『セバスチャン・ナイト』の方もナボコフ自身をモデルにしたような作品で、そのセバスチャンの少年期のことなどが書かれていたりして、これが読んでいて『記憶よ、語れ』とごっちゃになってしまい、すぐにはどっちがどっちだかわからない状態になってしまったりする。「これはナボコフのことだったろうか?それともセバスチャンのことだったろうか?」という感じで、本の表紙を見て、「ああ、そうだった」と思ったりする(というか、本の大きさが違うから、気がつけばそのときすぐにわかるのだけれども)。

 天気は良く、空には燃えるような雲の姿が見えた。この頃は、毎日の雲の姿を見ることが楽しみのひとつになってしまったようだ。

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 今日は一ヶ月に一度の内科クリニックへの通院をする。最近はクリニックもあまり混み合ってもいないから、どんな時間に行っても大丈夫だろうと思って、4時ぐらいに行ってみたのだけれども、驚いたことに待ち合いロビーは順番を待つ人でぎっしり満員だった。「これは一時間以上かかるだろう」と判断し、あまり見知らぬ人たちの混雑の中に長い時間座っているのもいやなので、すぐにわたしのところにきた受け付けの方に、「また出直して来ますよ」と話したら、今日はそういう人が多いようで、「外出扱い」にしてくれて受付票をもらい、5時半ぐらいにもう一度出直して来ることにした。
 COVID-19まん延の頃にはこのクリニックもすっかり外来が減り、すぐに診察してもらえていただけに、「ああ、もうCOVID-19禍という認識は世間にはなくなっているのかな」とは思うのだった。
 クリニックからウチまでは歩いても5分ぐらいと近いので、いちど帰宅してのんびりして、5時半ぐらいにまた家を出る。外はもうすっかり暗くなっていて、また日曜日に見た月の姿が西の空にあった。二日経つとずいぶんと太ってしまって、ちょっと丸みが出ていた(写真は手ぶれしてクリアではないけれども、地球の陰になっている部分も、うっすらと丸く確認できるようだ)。

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 クリニックに行くとさすがに待っている人は数人に減っていて、わたしは「外出扱い」ということで、すぐに診察してもらえた。まあいつもと同じことなのだから、診察などせずに処方箋だけくれればいいのだけれども、それではクリニックの収入がなくなってしまうわけだ。かたちだけでも「診察」するのである。

 夜、寝るときはニェネントとの遊びの時間。ニェネントも、わたしがベッドに横になったときこそ「遊べる時間」と思っているわけで、わたしが寝るとすぐにベッドに跳び乗ってくる。おかげで本を読むこともできないのだが。
 ニェネントの顔を右手でパン、パンとかまってやっていると、そのうちに狙いをつけたニェネントはわたしの右手(特に小指側の手のひら)に「カプッ!」と甘噛みしてくる。狙いのつけ方、噛みつくときのスピードとかが「野生」っぽくって、わたしもこの時のニェネントがカッコ良くって「お気に入り」である。「甘噛み」というにはちょっと力が入っていて、「いててて!」ということもあるのだが、わたしは以前ニェネントに「本気(マジ)」で噛まれて流血の惨事になり、腫れ上がった手の治療で外科医に行ったこともあるから、ニェネントにとってこれは「甘噛み」だということは実体験としてよくわかる。本気になるとトンデモないことになる。
 それでもニェネントも「どう?コレは痛いでしょ?」みたいなことはわかっていて力加減しているみたいで、だいたい首の振り方で力の入れ具合もわかる。そういう感じでわたしにちょっと力を入れて「ガブリ!」と噛みついて、わたしが「いててて!」と手を振ると、「フン、やってやったね!」みたいに、ピャッ!とわたしの上から跳び逃げて行ったりするのである。ニェネントは、「やったぜ!」とか思ってるのかもしれない。