1944年スペイン。内戦は終わっているがフランコの政府軍と山にたてこもるゲリラ軍との抗争は継続している。
スペイン内戦と幼い女の子、女の子の見る妖精(精霊)というとどうしても、ヴィクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』を思い浮かべてしまうわたしだけれども、わたしはこの『パンズ・ラビリンス』にはやはり、『ミツバチのささやき』の影響はあるだろうと思う。そもそもがスペイン内乱を背景に、現実の過酷さに対峙して女の子が幻視するという骨組み自体が共通しているだろう。『ミツバチのささやき』では、ヒロインのアナは「精霊」に呼びかけるところで終わるのだが、この『パンズ・ラビリンス』のヒロインのオフェリアは、そんなアナの「その後」の物語のようにも読み取れる。アナとオフェリアの精神には、共通するものがあるだろう。いちおう書いておけば、オフェリアがパーティーのために新しく着る服装(白い前掛けがある)は『不思議の国のアリス』だろうし、彼女が履く赤い靴は『オズの魔法使い』への目くばせだろう。
『ミツバチのささやき』にはフランコ政府軍の姿はあらわれないけれども、この『パンズ・ラビリンス』では、まさに政府軍の真っただ中で物語は進行する。そしてオフェリアのストーリーと並行して、政府軍内部で家政婦をしながらゲリラに協力するメルセデスという女性らのストーリーも進行する。ここで実はそんなメルセデスとオフェリアとの「近似性」というポイントもある。
メルセデスの弟はゲリラ側で山中で戦っているのだけれども、政府軍に捕らえられ政府軍のヴィダル大尉(オフェリアの義父)の拷問を受けて死んでしまう。オフェリアもまた、生まれたばかりの弟(ヴィダルの子)を抱いて軍の砦から逃走するのだけれども、まずは妖精のリーダー格の「パン」に無垢なる弟の血を求められて拒否する。オフェリアはヴィダルに追いつかれ弟を奪われ、撃たれてしまうのだが、弟(彼の息子)を抱いて帰ろうとするヴィダルを待っていたのはメルセデスらのゲリラ隊だった。
ここで、ヴィダルに弟を殺されたメルセデスと、パンに「最後の試練」として弟の血を差し出すように言われて拒否するオフェリアとの関係性、近似性があらわになるのではないだろうか。パンからの「三つの試練」という絶対的な言いつけの、そのさいごに無垢なる弟の血を守るオフェリアは、ラストにヴィダルからその弟を奪還して胸に抱くことになるメルセデス、じっさいにヴィダルに弟を殺されたメルセデスの魂を救うことになるだろう。このことこそが、死せるオフェリアが幻視の世界で「王女」の座を得るという理由ではあるだろう。
そういう意味でこの『パンズ・ラビリンス』は、フランコ軍とゲリラが戦う過酷な現実と、オフェリアの幻視する妖精の世界とをみごとにリンクさせた作品と言ってよく、名作『ミツバチのささやき』への秘かなパスティーシュ足り得ているのではないだろうか。言わずもがなのパンの世界の「奇想」と共に、また観たい映画だ。