日曜日。天気予報ではこの週末は「雨」という予報だったが、けっきょく降らなかった。今日は午後からは晴れ間ものぞいて、ようやく「秋」という感じだ。明日からはしばらくいい天気だというが、ちょっと気温は上がるみたいだ。
今日もずっと『ナボコフ=ウィルソン往復書簡集』をベッドに寝転がりながら、ニェネントの妨害にもめげずに読み進め、そしてそのまま午睡に突入してしまったり(となりにはニェネントが寝ている)の一日だった。
ニェネントの夕食の時間になって「ネコ缶」を開けてあげるのだけれども、今日はなぜかニェネントは食べに来ようとしない。このところは夕食の時間になると「にゃ~ん」とないたりして、出してあげたごはんをすぐに全部食べてしまっていたのに、どうしたのだろうかと思う。近所のスーパーで買った、そのスーパーの自社ブランドの低価格のネコ缶が気に入っているようで、今日出した、前にとなり駅で買ったゼリーがいっぱい入ったネコ缶はもうあまり好きではないようだ。
しかし、夕食を全然食べないようだと心配だと思っていたのだが、夜遅くになって皿を見てみると、それでも大半はたべてしまっていたようだった。ちょっとホッとした。
わたしの夕食は、「久しぶりに本格的な料理にトライするぞ」という気もちで、「肉じゃが」をつくった。しかし、単に「煮込み時間」を長く取ったというだけで調理はお手軽、特に「本格的」というわけでもない。今日はちょっとばかしその煮込み時間を長く取り過ぎ、じゃがいも&ニンジンが煮くずれしてしまった。
世の中には働く仕事もなく、毎日の食事もギリギリまで切り詰めてらっしゃる方も多いだろう。そんな風潮の中、わたしもそれなりに倹約はしているけれども、自分の好きなものを好きなだけ食べられるというのは「僥倖」だと思う。
今のわたしは、毎月多少なりと「貯え」も増やしている生活だけれども、ちょっと何かがずれていれば(例えばわたしが水商売やっていたりしたら~その可能性は大いにあった~)、わたしも今ごろは仕事もなく、毎日「どうやって生きていこうか」「ニェネントといっしょに生きていくのが困難だ」と思いわずらっていたとしても不思議ではない。
奇怪な報道があって、あの竹中平蔵という男(彼は菅新首相のブレーンでもあるのだが)が、「ベーシックインカム」として国民すべてに7万円を支給するという。それだけならいいのだが、彼は「だから生活保護も年金支給も必要がなくなる」というのだ。つまり、今の生活保護は首都圏では十何万かの支給があるところを廃止して、「7万円」にするというのだ。ほぼ半額にカットするということ。しかも、生活保護制度では医療費などは無料になっているわけだけれども、その制度もなくなる。
つまり、持病を抱えて働けず、それで生活保護を受けている人は毎月7万だけで生活させ、しかも通院費もその7万の中から実費を「自己負担」せよ、ということなのだ。それは直(ちょく)、「あなた、死になさい」と言っていることに等しい。そういうのは「ベーシック・インカム」とは言わない。鬼畜の言うことであろう。そして、恐ろしいのは今の菅内閣だとヘタしたらこの案を実行することもありうるということである。「ディストピア」以外の何物でもないだろう。恐怖する。