ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-09-19(Sat)

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 ニェネントが、出窓の上にあがって外をじっと見ている。出窓の外は狭い駐車スペースがあって、その向こうは雑草のあいだに何台もの廃車が打ち捨てられた空き地が拡がっている。右側にはちょっと先に向かいの家の庭が見えて、いろいろな植物が雑然と生い茂っている。今は名前を知らない赤い花が咲いているのがみられる。
 このあたりは都心への通勤圏内の住宅地で、たいていの家は窓の外は道路が走っているか、隣家で視界がふさがれている。そんな中で、わたしの棲み処は窓の外の視界がひらけていて、それは決して「いい眺め」ではないのだけれども、立地条件は悪くない。特にこうやって出窓から外を眺めているのが好きなニェネントには、「いい住まい」ではないだろうか。

 ネコはこうやって、ニェネントのように窓の外をじっと見ているのが好きだという。わたしもさいしょのうちは「外に出たくって外を見ているのだろうか」とも思ったけれども、じっさいにはそういうことではないらしい。
 外を見つめる理由のひとつは「縄張り意識」かららしく、そうやって窓から外を監視しているのだという。もうこのあたりによそのネコがやって来ることはほとんどなくなったけれども、以前はたまにウチの前にネコがやって来ることもあって、そうするとニェネントは興奮してなきながら出窓から降り、部屋の大きな窓のカーテンに上ろうとする。「ああ、よその猫が来たのだな」と、わたしも窓の外を見てみるのだ。ニェネントには興味津々でそばに寄ってこようとしている「よそ者」ネコも、わたしの姿を見るとサッと逃げていってしまうのだ。
 ニェネントが外を見る理由のもうひとつは、それでリラックスできるからだという。実はネコというのはそんなに視力がいいわけでもなく、それをおぎなって抜群の聴力を持っている。ニェネントが出窓の上で外を見ているのは、実は「外の音を聴いている」ということなのだろう。それは人間でいう「自然浴」みたいなもので、この殺風景な部屋、そしてときどきわたしの聴くニェネントには好きになれない音楽から逃れて、ぼんやりと見える外の風景、そしてわたしなどには聴こえない外の物音(風の音や鳥の鳴き声)を聴いてリラックスしているのだろう。
 この環境で、ニェネントがのびのびと生活してくれればいい。

 今日からわたしも4連休なのだが、特に出かける予定もない。部屋にこもってやりたいことはあるけれども、出来るかどうかはわからない。
 昨日東のスーパーに行ったとき、近くの銀行で記帳しておこうと思ったのに通帳を持って行くのを忘れてしまっていたので、今日また出かけて記帳しておこうと思った。残金とかの様子をみて、多少現金を引き出しておこうかとも思っていたのだが、銀行へ行って記帳してみると思いのほか記帳項目がたくさんあって通帳の余白がなくなってしまい、「窓口で新しい通帳を交付してもらって下さい」ということだった。つまり、もういちど来なくてはならないわけだ。まあ新しい通帳がなくても現金を引き下ろしてもいいのだが、その他に考え違いをしていたこともあって、記帳は一ヶ月先にしておいた方がいいようだ。ちょっとがっくりした。

 損保会社からの損害保険の給付もだいたい確定したので、また「ちょっとぜいたくをして、おいしいものでも買って帰ろうか」と思ったのだけれども、ひょっとしたら「ブルーレイレコーダー」を買うかもしれないし、実はもうちょっと「Bean Bear」も買い集めたく、無駄遣いはそっちのほうにつぎ込むことにした。

 今日は読んでいるパトリシア・ハイスミスの『ガラスの独房』を読んでしまおうと、この日ほとんど読書で終わってしまった。なんとか読了。