ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-09-14(Mon)

 昨夜は雨になったようで、早朝に外に出ると道路が濡れていた。空はすっかり曇っていて暗く、まだいまどきなら東の空はうっすら明るくなり始めているはずだけれども、今朝は真夜中のように真っ暗だった。気温は低く、涼しい。

 仕事を終えた頃には少し気温も上がったけれども、相変わらず空は灰色の雲におおわれている。帰り道、前に出会った三毛ネコの姿を見た。どこかの家の玄関口でのんびり休んでいたけれども、この家の飼いネコというわけではないだろうとは思う。

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 家でも今日もエアコンを使わず、扇風機でやりすごした。
 テレビでは自民党の総裁選のことばかりやっていて、つまりは誰もが知っていたように菅新総裁が生まれ、イコール彼が日本の首相になるわけだ。彼は相変わらず「秋田の農家の出身のたたき上げ」という自分の経歴ばかりを語り、これからの自民党総裁としての抱負などは通り一遍で、やはり圧倒的にボキャブラリーが不足しているだろう。
 忖度が常態となっている日本のメディア相手なら、前任の安倍氏のようにごまかすこともできるだろうけれども、こと「外交」ということはまるっきし期待できないだろう。安倍首相だって「ATM」と言われたように海外にカネをばらまくばかりの外交で、「北方領土」「拉致問題」など「解決」どころか百歩も二百歩も後退するのみだったのだが、菅氏がそれ以上のことができるとはとても思えない。トランプなどはなおさら威勢を示して日本にカネを出させることだろう(そのトランプもこの11月でおしまい)。
 あと気になるのが、前の記者会見などでスローガンとして「自助・共助・公助」などとのたまっていることで、この「自助・共助・公助」との順番が困る。つまりまずは「自分のことは自分で解決し」、それで解決しなければ「知り合いとか近隣の共同体と協力すべし」。いちばんさいごに、「国の行政機関が手助けをしようではないか」ということだ。
 これは近年反動的な意見としてよく聞かれるようになった「自己責任」論を補完するもので、「まずは自分でやれ。国が助けるのはいちばんさいごのことだ」という順列を指定している。
 例えば、今のCOVID-19禍で職を失ったとする(わたしだって他人ごとではないのだが)、反動的な意見では「職を失ったのも<自己責任>、人に頼るな」ということが真っ先に来る。まあここで「共助」というのは「親族・知人に頼れ」ということになるかもしれないが、例えば「生活保護」とかの救済制度はいちばんさいごになるわけだし、じっさいにはそういう申請の窓口での締め出しが日常化しているという。
 ここはこんな「原則論」みたいなことを語るのではなくて、国としての社会保障の充実を考えれば、「これからは<公助>を拡大して行く」というべきなのだ。「自助・共助・公助」という発言は、「これからも特に改めてやることはありません」と言っているようなものだろう。「何もやらない」宣言。

 夕食はアルファ米の保存食チキンライスをお湯でもどして、「チキンライス」といいながら鶏肉は入っていないものだから、鶏肉とタマネギを足して炒め、ケチャップで味付けしてたまごを焼いてのっけて「オムライス」にする。アルファ米アルファ米だけれども、なんとか食べられる味になる。
 食事を終えて7時も過ぎ、あとはベッドで本を読もうかとなってテレビもパソコンも消して立ち上がって、リヴィングでくつろいでいるニェネントに「ニェネント、もう寝よう!」というと、わたしが立ち上がるからわかるのか、「もう寝よう!」ということばがわかるのか、自分も起き上がってわたしよりも先に寝室に移動するのだ。
 ニェネントにとっては、わたしと遊べるのはわたしがベッドに寝たときでしかないので、うれしがっているようだ。別にベッドの上でなくってもわたしはニェネントといつでもどこでも遊ぶつもりでいるのに、リヴィングとかで寝っ転がってニェネントをつかまえて、胸の上にあげて遊んでも、ニェネントはそういうときはあまり楽しくもないようで、やはりベッドの上でなければダメらしい。この頃は、ベッドでわたしと遊んだあと、わたしの横でしばらくくつろいでいくようになった。