わたしは仕事のはじまりが早いので、当然朝起きるのも早い。早起きのため毎朝4時にアラームをセットしてある。だから寝るのも早くて8時半ぐらいには本を読むのもやめて寝てしまう。前は夜中にトイレとかでよく目覚めたのだけれども、最近はけっこうぐっすり寝ている。しかしたまに寝ざめて時計を見るとまだ2時ごろだということはときどきある。「早すぎた!」とまた眠るが、だいたいいつも、4時のアラームが鳴る前にはまずいちど目覚める。それが3時とかだったりすると、「まだ1時間眠れる!」と、ちょっとゆったりした気分になる。3時半だと「あと30分したら起きなくっちゃいけない」と考え、あんまりいい気分ではない。それでたいていは3時50分とか55分とかにはまた目覚め、「もう起きなくっちゃ!」と、起き出すのである。つまり、まるでセットしたアラームのお世話になることはない(ごくたまに、アラームで起こされてしまうことがある)。
もう起きているニェネントは朝ごはんの時間で、「わたしが起きる」=「朝ごはんを出してくれる!」なので、わたしのことを見上げてにゃーにゃーとないてわたしについてくるのだ。
前に、ネコというものはきゅうりを見ると大げさにおどろくのだ、というのを読んでいて、ネコの後ろにそっときゅうりを置いてやって、ネコがそのきゅうりに気がつくと飛び上がっておどろく画像も見ていたわけで(一説では「ヘビ」と見まちがうせいではないかというが)、今ウチにはきゅうりがあるし、はたしてニェネントはきゅうりにびっくりするだろうかと、試してみた。出窓の上でまどろんでいたニェネントのおしりの方にそっときゅうりを置いてみた。
‥‥ニェネントも10歳になるが、そもそもわたしがきゅうりというものを買わないので、ニェネントはきゅうりと初対面のはずである。「さあどんな反応をするだろうか」とみていたが、これがまるで「無反応」「無関心」なのだった。「これ、な~に?」というのでもなく、「ふんふん」という感じ。
思うに、もしもネコがきゅうりをヘビと見紛うておどろくのだとして、ニェネントはまるっきし「外」で生活したことはないし、この「無反応」は「ヘビ」というものなどまるで知らないからではないだろうか。
ちょっと、期待外れのつまらない反応だった。
今日は仕事の帰りに地元駅そばのスーパーに寄り、一袋100円のジャガイモと、半額に値引きされた豚肉と牛肉を買った。わたしはどうせ肉類は冷凍保存するので、「消費期限」は問題にしない。だから値引かれた肉類は魅力的だ。
家に帰ると冷蔵庫にすっかりその存在を忘れていた「イカの塩辛」があるのを見つけたが、「賞味期限」もとっくに過ぎていた。しかし、「イカの塩辛」というもの、かなり長期間保存できるし、時を経るほど味が良くなるのではないかと思う。
わたしは今のように「スルメイカ」が高価になる前、しょっちゅうそんなスルメイカを買って自分で塩辛をつくっていた時期があった。瓶に入れて保存し、新しくつくるとその古い塩辛の入った瓶に入れてまぜ、半年ぐらいは保存していた記憶がある。唐辛子とかかつお節とかも入れて、おいしい塩辛だった。
だからこの「賞味期限」の過ぎた「イカの塩辛」もまるで平気だろうとは思うのだが、こういう「大量生産」された「イカの塩辛」にはどんな混ぜ物が入っていて、どんな保存剤が入っているかもわからない。だからこのまま「ナマ」で食べるのではなく、少なくとも熱を通してやろうと思い、今日の昼食は「イカの塩辛のスパゲッティ」にした。なかなかにいい味だった。
まだ塩辛は残っていたので、夕食はジャガイモとイカの塩辛を炒め合わせた献立にした。これもけっこうおいしかった。
通勤電車の中とかで読んでいた、ポール・オースターの『孤独の発明』を読み終えた。さて明日からは何を読もうかと考え、先日買ったハドソンの『はるかな国 とおい昔』を読むことにした。
昼間、テレビで自民党の総裁候補者の立会演説というのをやっていたのをチラチラと見た。候補者は3人で、石破茂、菅義偉、岸田文雄である。
石破氏は、「なぜ日本は負けるとわかっていた太平洋戦争に突入してしまったのか」という話から、過去にさかのぼって政治のあり方を説きながら、自らの政治理念を語る。彼はもともと「タカ派」の論客として知られ、「総理にはなっていただきたくはない人物」ではあるけれども、その「政治家」としての論旨には納得するところはあった。
同じように岸田氏も自らがすすめようとする政治の理想を語るのだが、ただひとり、菅氏だけはまったく自らの政治理念を語らず、ただ「いついつに最初に選挙に立候補して当選し、そのあとだれだれの家来になった」とかの自分の経歴だけを語り、その政策に関しては「安倍政治の継承」としか語らないのである。
安倍という男も自分のヴィジョンを自分のことばで語れない低能児だったが、この菅という男、その「低能」ぶりも安倍を継承する「クズ」だということがよくわかった。安倍の次はこの「クズ」がしばらく、わたしたちを支配するわけだ。