ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-08-10(Mon)

 早朝の4時、いつもの起床時間にスマホのアラームで起こされた。「土日祝日」にはアラームは鳴らない設定にしてあるし、今日は「山の日」の祝日で仕事も休みのはずなのに、どうしたというのか。おそらくはスマホのそういうところの休日設定が古くて、今日は休日じゃないよというつもりなのだろう。まだまだ眠いので、かまわずに寝つづけた。
 するとそのうちに、わたしの足元を「ちょん、ちょん」とつっつくものがある。ニェネントである。ニェネントがベッドの下から、わたしの足をつっついていたのだ。
 「あんたさ、アラームも鳴ったんだから早く起きて、さっさとアタシの朝ごはんを出してよ!」ということである。ときどきこうやって「早く起きてよ!」とやってくれることもあるんだけれども、ずいぶんと久しぶりのニェネントくんの「意思表示」、「おねだり」だった。
 そこまでやられると起きないわけにもいかないので、ニェネントに「おはよう」とあいさつをして起き出し、朝ごはんのカリカリを出してあげるのだった。食事が終わったら、また鼻の塗り薬の時間。まだもう少し黒ずみが残っているけれども、もうちょっと薬をつづければ全快の日も近いかな?

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 ということでいつものように、薬を塗ってあげたあとは和室の押し入れに逃げ込んでしまうニェネントくんではあった。

 わたしも朝食を取り、そのあとまた、昨日観た『人生はビギナーズ』をもういちど観た。やはり好きな映画だ。
 映画を観終えて、あまり暑くならないうちにスーパーに買い物に出かけた。明日からの一週間分の朝食代わりのバナナ、仕事の休憩時間に食べる肉まんなどなどを買う。肉まんが先週よりも20円値上げされていて「なんだよな」などと思う。
 このスーパーはちょっと前にも、1キロ198円だったパスタをとつぜんに40円も値上げして、「悪らつなことをやるもんだな」と憤慨していたのだけれども、誰かが抗議したのか何だか、2週間ほどでもとの198円に戻されてしまった。238円のときに買ってしまった人はご愁傷さま、だった。

 買い物から帰宅して昼食(パスタ)を取り、そのあと「GYAO!」でドイツ映画の『U・ボート』のディレクターズ・カット版を観始めたのだが、これが映画館で公開されたとき(わたしも昔映画館で観た映画だ)の倍ぐらいの長さになっていて、何と言うかいささか冗長なところも感じ、途中で眠ってしまった。
 それで『U・ボート』を観るのはやめて、1956年製作の日本映画『沖縄の民』を観た。

 ナボコフの『目』は読み終えたのだけれども、同じ本に『四重奏』として4つの短篇も掲載されていて、この4作品は別に持っている『ナボコフ全短篇』にも収録されていて読んだのだが、こっちは小笠原豊樹氏の翻訳でもあるし、一冊の書物としてその短編も読んでからこの日記に感想を書くことにした。今日は『名誉の問題』と『リーク』の2篇を読んだ。

 さてネットのニュースを閲覧していると、昨日渋谷で「クラスターデモ」というのを遂行した連中がいたらしい。これは「COVID-19はただの風邪」との主張から、マスクを着用せず、ソーシャル・ディスタンスも無視して集合したらしい。同じような集会は先日ドイツでも行われたというが、日本ではその渋谷での集会後皆でノーマスクのまま山手線に乗り、山手線一周したのだという。主催者は先日の都知事選にも立候補していた人物で、「自由な生活が脅かされる危機感のもと始めた」とのたまっているらしい。
 いいだろう。百歩とか千歩とか譲って、仮に、とにかくは仮に「COVID-19はただの風邪」ということを認めてやったとして、しかし今はその「風邪」が日本で大流行している。「インフルエンザ」もしくは「風邪」であろうが、世間で大流行しているときには皆が「感染しないように」努力するものである。「感染しないように」ということは、イコール「感染させない」ということである。「風邪」でも高齢者には致死的な意味を持つこともある。世間がそのように「風邪」を抑え込もうとしているときに、「感染してどれだけのものよ!」という行動を取ることはどういう意味があるのだろうか。ましてや、COVID-19は高齢者や疾患を抱えている人には致命的になるというデータもあるし、どんな人であろうが感染した人には「後遺症」が残るとの報告もある。また、これ以上感染者が増加することは、今でさえ加重労働が強いられている医療従事者にさらなる<負担>を強いることでもある。ことは「自分は感染しても平気だぜ!」ということでは終わらないのだ。
 わたしが細心の注意を払って<感染>を避ける気もちには、わたしが感染することによって医療従事者に負担を増やしたくないということでもあるし、さらなる<感染者>が増える原因にはなりたくないということでもある。無責任な行為を取る人々にはあきれるというよりも、「怒り」すら感じてしまう。

 しかしこういうこともすべて、まったく無為無策の現安倍政権の責任で発生してしまうことではあろう。
 安倍首相は昨日の長崎での「平和祈念式典」に出席してスピーチしたのだけれども、それが先日の広島での式典でのスピーチの、ただ「広島」を「長崎」に替えただけの内容ではないかとの批判が起きている。安倍は「そんなことは知らないよ」という態度だろうし、じっさいにスピーチの原稿を書いているのが安倍自身なわけもないのだけれども(そんな<知性>を持っているわけがない)、被爆地をバカにするような行為ではある。COVID-19への無為無策と合わせ、とにかく早急に退陣していただきたいし、そもそもが安倍晋三という男は幾多の犯罪に手を染めている人物でもある。さっさと首相の座を降りて、「塀の中」でゆっくり休息していただきたい。