ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-08-06(Thu)

 今日は広島に原子爆弾が落とされて75年目の日。ネットのニュースで、アメリカでのアンケートでは「日本に原爆を落とす必要はなかった」と思っている人が増加しているという。ヒロシマナガサキは人類がおこなった史上最も残虐、悲惨な行為で、二度と繰り返されてはならない。そのためにも世界から核兵器はすべて廃絶されなければならないのだが、当事被害国だった日本は「核兵器反対条約」に署名していない。
 安倍首相は今日広島を訪れたらしいのだが、安倍晋三のような人物が、この8月6日という日に広島の土を踏むということが、それだけでも気分が悪くなる。

 明治以降の近代日本はそれこそ「蒙昧」の道を突き進み、2発の原爆を投下されてようやく「もうダメだ」と敗戦を認めた。それから30年ほどは「同じ過ちは繰り返さないように」と、平和と民主主義を目指したかじ取りをおこなった時期もあったのだと思うけれども、その進路も今では捨て去られた感がある。わたしはまだそんな一時期の、日本がリベラルを目指した時代に成長したおかげで、そういう意味では「自由」に生きてきたのではないだろうか。しかし時代を振り返ると「連合赤軍」の事件があり、さらに「オウム真理教」があって、日本では自由気ままに生きるというのがむずかしくなる時代になったのではないかと思う。さらにその後の民主党政権への批判は、今の安倍内閣が繰り返し語るところである。新しい「蒙昧」の時代なのだろう。

 わたしは25年ぐらい前にはまったくひとりで「アート・イヴェント」を立ち上げて、しばらくはそんなことに没頭していたのだが、今のわたしがあるのは、すべてその「アート・イヴェント」を運営したということから得たものである。
 もしも仮に今の情勢でわたしが25歳若かったとして、とってもひとりで「アート・イヴェント」をやってみようなどとは、思いつくこともできないのではないだろうか。25年前に比べて、たとえ今のCOVID-19禍のことを考えなくても、あまりにリスクが大きすぎる気がする。いろいろと自分のやって来たことを振り返りたい気分もあるけれども、とにかくは今のわたしが「わたし」であるところの、そのわたしの「過去」には感謝したい気もちがある(いかん、回顧モードになってしまった)。

 しかし暑くなった。まだわたしが早朝出勤するときにはいいのだが、仕事を終えて帰宅するときにはうだるような暑さだし、そのあと部屋にこもっていても冷房なしではすごせない。

 ニェネントの鼻だけれども、その「黒ずみ」の場所は変化しているのだけれども、鼻の上が黒いということに変わりはない。前の通院から一週間経ったので、今日ふたたび通院する。
 暑いので病院に行く時間を前回より1時間ほど遅らせ、ニェネントの入るペットキャリーの中には、タッパウエアに氷を入れたのをタオルにくるんで入れておいた。診察を受けたあとにはもう氷も解けてしまって意味ないだろうけれども、病院へ行くときがいちばん暑いだろうから、そのときに多少でも役に立てばいい。

 5時半ぐらいに動物病院へ着き、今日は先に誰もいなかったのですぐに診てもらえた。診療台の上に出されたニェネント、体重は先週と変わらず4.86キロ。この日も先生が触ろうとすると「う~~~~」とうなって噛みつこうとする。「狂暴さ」全開なので、またエリザベスカラーのお世話になった。
 けっきょく、処方されている軟膏を患部に塗る前に、湿らせたタオルなどで患部を拭いてやってからにして下さいということ。「それはそうだな」と納得するけれども、どうも「患部にはさわらないようにしよう」と思い込んでしまっていた。そうやってまた一週間様子をみて、それでも快方に向かわなければ次は「薬用シャンプー」を処方しましょう、ということだった。

 病院からの帰り道はずいぶんと涼しくなった。ウチの近くの公園の前に来て、その公園に茂った草原(くさはら)が緑で爽快で、「こんなところでニェネントを思いっきり走り回らせてあげれたらいいな」などと思い(そんなことをしたら二度と戻って来なくなるだろうが)、ちょっとベンチでひと休みした。

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 帰宅してさっそくニェネントの鼻先をタオルで拭いて、それから軟膏を塗ってやる。軟膏を塗られたニェネントは、さっさとどこかへ行ってしまう。
 わたしは夕食にチキンライスをつくって食べ、テレビも見ないでベッドに行って本を読むのだった。
 読んでいる『フェルマーの最終定理』は、予定通り明日には読み終えられそうだ。あと、ちょっとずつ読んでいるナボコフの『目』だけれども、今日は何となく、「ははあ、このことがナボコフの仕掛けたポイントなのかな?」というのが読み取れた気がして、気分よく眠るのだった。