豪華絢爛たる映像と重厚な演出。4時間の大作だけれども、飽きることなくあっという間の鑑賞だった。
作品は19世紀のバイエルン王ルートヴィヒ2世の、即位から失脚、その死までを描いた歴史ドラマで、ルートヴィヒをヘルムート・バーガー、ルートヴィヒが唯一心を許したともいえるオーストリア皇后のエリーザベトをロミー・シュナイダーが演じている。ロミー・シュナイダーはそのキャリアの初期からエリーザベトを演じることで人気を得ていて、ロミーはエリーザベトの愛称の「シシー」と呼ばれたくらいだったという。ここでまたもやロミーがエリーザベトを演じたのは、逆に彼女について回ったその「シシー」のイメージを払拭するためもあっただろうか。
そして重要な登場人物としてリヒャルト・ワーグナーを演じたのがトレヴァー・ハワード(たしかにワーグナーに似ているか)、そのワーグナーの愛人で、のちにワーグナー夫人となるコジマ・フォン・ビューローをシルヴァーナ・マンガーノが演じている。
俳優陣も豪華だが、おそらくはこの映画の撮影で「セット撮影」というのはほとんどなかったのではないかと思われる。特に後半に姿をみせるリンダーホーフ城の、エリーザベトを案内役として観客に見せる驚異の黄金色の装飾過多ぶり、そして「ヴィーナスの洞窟」の壮大な舞台装置めいた造りなど、ただただ驚嘆してしまう(このシーンに登場するシェイクスピア役者と、ルートヴィヒのやり取りには笑ってしまうが)。
一般にルートヴィヒ2世は「童貞王」だとか「バヴァリアの狂王」などと言われたりもするが、童貞の件はともかくとして、この作品では彼を「狂人」としては描いていないようだ。「自由」を夢見てワーグナーを保護しようとし、施政に興味を持たなかったことは描かれるが、ヴィスコンティはルートヴィヒの生涯をひとつの「不幸」、そして「孤独」と捉えていたようにみえる。
映画前半にオーストリアと共にプロイセンと戦ったバイエルンだが、デュルクハイム大尉(のちに大佐)がルートヴィヒのもとに「敗北」を伝えにくる。このときにルートヴィヒはデュルクハイムに彼の考える「自由な生き方」について語るのだけれども、デュルクハイムは「それは特権的な自由で、ほんとうの自由はそういうものではない」と語るシーンがある。ここには「赤い貴族」と呼ばれたヴィスコンティの思想も反映されていると思えるけれども、ヴィスコンティにはそういう旧時代の消えていくさまを映像化するような姿勢がある。
ちなみに、このデュルクハイムという男、ここではルートヴィヒに批判の言葉をダイレクトに投げかけるのだけれども、映画の終盤に再び登場し、それ以降彼こそがルートヴィヒを助け、守ろうとしていることがはっきりとわかったりする。
施政に興味を失って新築のノイシュバンシュタイン城にこもり、頽廃の生活をおくるルートヴィヒは哀れだし、彼は自我というものを守ることに失敗したのだろうとは思う。「わたしは<謎>でありたいと思う」というルートヴィヒのさいごの言葉は、ヴィスコンティがルートヴィヒに抱いた気もちの表明でもあっただろう。