ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『黄金の壺』ホフマン:著 神品芳夫:訳

黄金の壺 (岩波文庫)

黄金の壺 (岩波文庫)

  • 作者:ホフマン
  • 発売日: 1974/05/16
  • メディア: 文庫

 この本は、むかし高校生ぐらいのときに『黄金宝壺』とのタイトルの文庫本で読んでいた。古文調だけれども「おとぎばなし」風の楽しさにあふれた本だった。この岩波文庫版の「あとがき」で、それが石川道雄という方の翻訳だったことを知った。やはり「名訳」の聞こえの高い訳文だったらしい。

 ホフマンという人物のことはあまりよくは知らなかったけれども、どうやらいろいろと難儀な人物ではあったらしい。いろいろあったおかげで作家としてのスタートは遅い方で、この『黄金の壺』の含まれた『カロ風幻想曲』の連作が発表されたのが1814年、ホフマン38歳ぐらいのことで、ここからの作家スタートだけれども、8年後には脊髄カリエスだかで亡くなられてしまうのだ。

 考えてみればわたしはホフマンの作品をそれほど読んでいるわけでもなく、前に読んだ短篇集とか長編『牡猫ムルの人生観』、その他若干の短編を読んだぐらいのものなのだが、だいたいわたしの読んだ作品は「お化けのホフマン」と呼ばれるにふさわしいような「怪奇幻想小説」的な作品が多かったわけだけれども、この『黄金の壺』は「ドイツ・ロマン派」にふさわしい、メルヒェンの香り高い作品ということ。
 ちょうど先日、その「ドイツ・ロマン派」を代表する作家のノヴァーリスの一大メルヒェン、『青い花』を読んだばかりなわけなのだが、なるほどたしかにこの『黄金の壺』には、『青い花』に共通する要素がいっぱいいっぱいつまっているわけだ。
 ひとつ根本に「理想世界への憧憬」というものがあるのだが、この『黄金の壺』には、『青い花』と同じく「アトランティス神話」とでも呼ぶべきものが背景にあるのだった。読んでいて「なるほど、これはたしかに<メルヒェン>なのだろう」と思うところも大きいのだけれども、しかしやはりそこには、私の知っているホフマンらしい「奇怪さ」、「怪しさ」がまん延している。

 主人公はアンゼルムスくんという大学生なのだが、昇天祭の日にふと鈴の音につつまれ、心を惹きつけてやまない緑の蛇ゼルペンティーナを見て、その蛇と結ばれることを夢見るのである。
 ここに一方にリントホルストという文書管理役人がいて、アンゼルムスに筆写の仕事を頼み込むのだが、どうもこのリントホルストがゼルペンティーナの父親らしい。一方にアンゼルムスの出世を夢見て彼と結ばれたいと願うヴェロニカという魅力的な女性がいて、彼女はアンゼルムスと添い遂げるために魔女のラウエリンのいうことを聞き、まさに魔術的な呪術に手を染める。
 これが、読んでいてどちらの側もあやしいし、一方でどちらの側もまっとうのようにも思えてしまうから困ってしまう。だいたいリントホルストという人物も異様というか魔術師みたいに見えてしまうし(じっさい、この存在は「火の精」なのである)、アンゼルムスが恋焦がれる相手が「緑の蛇」というのが尋常ではないではないか。もう片方のヴェロニカはごく普通に善良な市民というか、普通に考えればアンゼルムスの相手にはヴェロニカこそ相応しくも思えるのだが、しかしヴェロニカが頼るのはまさに「魔女」、弁護の余地のない悪玉である。
 これはどう読み進めればいいのか。わたしならば「蛇」なんぞにうつつを抜かしていないで、普通に美しい人間であるヴェロニカとこそいっしょになるべきではないかと思うのだが、そこは「メルヒェン」。ゼルペンティーナをこそ選ばなければならない。そのことによって、「ただの大学生」だったアンゼルムスくんは、「詩人」へとグレードアップできるのである。
 それではヴェロニカちゃんがかわいそうではないかと思うのだが、彼女はつまりは「俗世界」の人間だから、「出世」する男ならば誰でもいいのであって、魔女のラウエリンが火の精のリントホルストに倒されたあとは、さっさと別の出世しそうな男に鞍替えしてしまうのである。

 やっぱりここはホフマンはノヴァーリスとはちがうというか、ノヴァーリスのように一歩一歩「理想郷」へと学習しながら足を進めるのではなく、「理想的な世界」と、そこへの道を妨害しようとする「邪悪なるもの」との闘争というものが大きな「見せ場」にはなるのである。わたしが読んだ以降のホフマンの短編では、いつもそのような「邪悪なるもの」に掬い取られようとする若者こそが描かれてはいたのだったが、こうやってこの初期の作品を読むと、そういう「邪悪なるもの」の裏面には「理想郷」というか、「崇高なるもの」の影が見え隠れしていたわけだと了解するのだった。