ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『汚れた女(マリア)』(1998) 井土紀州:脚本 瀬々敬久:脚本・監督

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 「汚れた」は「けがれた」と読む。瀬々敬久井土紀州とのコンビでは、この前に『雷魚』という傑作があったのだが、この『汚れた女(マリア)』もすばらしい作品。脚本の井土氏は、新聞に載せられた事件などから題材を求めて作品化するということをつづけていて、この作品にもモデルとなるじっさいの事件があったのかもしれない。

 主人公の女は夫も幼稚園(保育園?)に通う子どももある主婦で、昼は美容院で働いている。その美容院の美容師の男と不倫関係をつづけていたのだが、男が美容院の別の女性と浮気していると嫉妬し、その女を自宅に招いて殺害、死体を風呂でバラバラにして黒いビニール袋に入れ、あちこちのゴミ収集ボックスに捨てる。
 殺された女のタクシー運転手の男は妻が帰って来ないことから美容院に探りに行くのだが、主人公の女は「彼女は行方不明になる前に、以前社員旅行で行った温泉にまた行きたいと言っていたから、あの温泉に行っているかもしれない」と男に言う。
 男は女といっしょに男のタクシーでその雪国の温泉に向かうのだが、とちゅうで雪にタイヤを取られて進めなくなる。やむなく車中で夜を明かすが、女は近所で見つけたビニールホースを使って排気ガスで男を殺そうとする。男の妻の死体が発見されたというニュースもあり、女としては男を殺して、男を犯人にして事件の始末をつけたかったようだ。男もまた、妻を見つけてバットで殴り殺すつもりだった。
 男の殺害は失敗するが車はガス欠になり、男はビニールホースで女をつないで、二人で雪の中をさまよう。なんとか到着した旅館で二人はその夜に関係を持つ。次の朝、男は「このままどこかへ行こうか?」と言うのだが、それでも旅館から逃げる女を追った男は女にすがり、そのあとにバットで女を殴る‥‥。

 まあこのあとも「ええっ! そうなってしまうの?」という展開もあるのだけれども、ラストのロングショットの映像をみても、はっきりした結末はわからないといえばわからない。

 女の住むアパート(団地?)も、男の住むアパート(団地?)もありふれた住まいで、ベランダに干された洗濯物が強く目にとまる。妻のいなくなった住まいで、男はバットの素振りを繰り返す。
 しかしやはり、互いに「殺意」を抱きながらの、暗い情念を秘めながらの道行きこそがこの映画のポイントというか、「国道の長いトンネルを抜けると」ではないけれども、長い長い暗闇のつづくトンネル、それを抜けたあとの、人も車も行き交わない雪道を二人で歩くロングショット。
 タイトルに「女(マリア)」とあるように、どうせ妻を殺そうとしていた男にとって、女の存在は「浄化」というか「浄罪」のマリアのような存在だったのだろうか。人を殺すことを「簡単よ」と語る女に、男は何かふっ切れたものを感じたのかもしれない。

 男を演じたのは諏訪太郎で、わたしの大好きな名脇役だけれども、ここでは「主演」なのだ。かつて日暮里に住んでいたころ、諏訪さんの姿はけっこう見かけたものだった。彼は詩人の諏訪優さんのご子息でもあった。

 脚本の井土紀州氏はその後自らも監督をされるようになり、『百年の絶唱』をはじめ、わたしもかなりの数の彼の作品を追いかけたものだった。
 監督の瀬々敬久氏も、この頃の作品は観つづけたものだったが、わたしの考えではメジャーになられてからは何かが失せてしまわれたようで、今では瀬々さんの監督作品といっても特に観たいとも思わなくなってしまった。