ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『美しき諍い女』(1991) ジャック・リヴェット:監督

美しき諍い女 無修正版 [DVD]

美しき諍い女 無修正版 [DVD]

  • 発売日: 2002/11/22
  • メディア: DVD

 まずは、今月亡くなられたミシェル・ピコリ氏を追悼。
 この映画はオノレ・ド・バルザックの短編小説『知られざる傑作』を翻案したものということなのだが、わたしは(おそらく高校時代に)その『知られざる傑作』を読んでいて、その結末だけちょこっと記憶していた(そういう古い記憶は逆に消えないで残っていたりするのだ)。いちおう確認しようとWikipediaで『知られざる傑作』の項を読んでみると、小説の登場人物の名前はほぼすべて、映画の登場人物と同名なのだった(エマニュエル・ベアールの演じた「モデル」だけ、小説と異なる名前)。そして、モデルの恋人であったニコラとは、なんとニコラ・プーサンなのだった。

 そもそもわたしはジャック・リヴェットという監督がちょっと苦手で、いちばん最初に観た『彼女たちの舞台』には感銘を受けた記憶は残っているが、そのあと観た作品(大した数ではないが)は、わたしには受け入れがたい作品ばかりだった。さて、今回はどうだろう?

 映画は小説のようにプーサンの時代にはせず、時代設定は現代になっている(この件に関してはあとでわたしの考えを書きたい)。
 田舎のアトリエ(石造りの立派な建築)に隠遁し、10年前まで妻のリズ(ジェーン・バーキン)をモデルに「美しき諍い女」という作品を描いていた画家(「巨匠」と言っていいのか)のフレンホーフェル(ミシェル・ピコリ)は、その作品を中断して以後画筆を手に取っていない。そこにニコラという若い画家が恋人のマリアンヌ(エマニュエル・ベアール)を連れて訪ねてくる。ニコラはマリアンヌをフレンホーフェルの絵のモデルに推す。フレンホーフェルに取り入りたいとの下心があるのかもしれない。フレンホーフェルはマリアンヌを見て、ふたたび「美しき諍い女」を描き、完成させたいと思う。さいしょは反撥するマリアンヌだが、モデルになることを受け入れ、それはフレンホーフェルとマリアンヌの「共同作業」となっていく。そのことはリズやニコラの心にも波紋を生むことになる。やがて「作品が完成した」ということで、マリアンヌ、リズ、ニコラ、ニコラの妹、そして画商の前で完成した絵が公開されるのだが‥‥

 ドラマとして、とっても面白い。フレンホーフェルとリズとマリアンヌの心理的三角関係、同じくフレンホーフェルとマリアンヌとニコラとの関係。終盤にはそこにニコラの妹もやって来て、ニコラとの微妙な関係もプラスされる。
 リズはかつてフレンホーフェルがリズをモデルに描いた肖像画をつぶし、その上にマリアンヌの裸像を描いているのを目撃してショックを受ける。しかしフレンホーフェルに世俗のことに興味はなく、ただ理想的な「絵画」というものを実現するために、「画家」と「モデル」とが存在するのだと考えている。そこには、「画家」と「モデル」との戦いに似た状況が生まれるだろう。さいしょはフレンホーフェルの指示に従ってポーズを取っていたマリアンヌは、フレンホーフェルとの対話の中で彼の考える「絵画」なるものを理解し、ついには自分でポーズを決め、フレンホーフェルに「これを描け」と指示するまでになる。面白い。

 映画の中では、フレンホーフェルが絵を描く場面がひんぱんに映されるのだけれども、それは実際にはフランスのなんとかという画家がその手だけを写されて描いているわけで(一部ミシェル・ピコリが実際に描いている場面もあるが)、特にさいしょの方でのペンと筆で画帖に描いていく場面は、ほとんど描き始めから(ある程度の)完成まで、カットなしで撮影されている。
 わたしはやはりこの描画の場面が興味深く、見ていて「あんなに大胆に筆を使ってしまったら失敗じゃないのか」と思うのだが、描き進めるとそういう「大胆さ」もうまく活かされた作品に仕上がっていく。この、何度か繰り返される描画シーンは、「どんな展開になるんだろう?」と、かなり集中して観ていた。そこは「さすがだな」とは思った(ただし、過去にフレンホーフェルが妻のリズの顔を描いた絵というのはかなり酷いが)。

 ただ、こういう絵、そしてフレンホーフェルの芸術観などは、この映画の時制の「現代」ではいささか時代遅れではないかとの感想を持つことを禁じ得ない。出てくるタブロー(油絵)やエスキースは、まあ日本で言ってみても独立美術協会の展覧会に並んでいるような作品だし、こういう絵画観、芸術観が有効だったのは、せいぜい1950年代ぐらいまでのことではなかっただろうか。
 こういうところでジャック・リヴェットのコンサーヴァティヴな面を見てしまうようでもあり、まあこのことから現代フランス美術の衰退が垣間見られるなどとわかったようなことを言いたくはないけれども、もっと「美術」なら「美術」で、ヴィヴィッドな感銘を受けるような映画をつくっていただきたかった、などとは思ったのでした(原作のラストは、図らずして時代を越えて「抽象表現主義の誕生!」みたいなものでもあったが)。