ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『恋愛太平記』金井美恵子:著

恋愛太平記〈1〉

恋愛太平記〈1〉

恋愛太平記 2 (集英社文庫)

恋愛太平記 2 (集英社文庫)


 美人姉妹と評判の、年ごろの四人姉妹が主人公で、タイトルが『恋愛太平記』というのであれば、ちょっと谷崎潤一郎のことを知っている人ならば、それぞれ『細雪』と『台所太平記』のことを思い浮かべてしまうだろう。わたしは『台所太平記』は読んでいないけれども、その昔にがんばって『細雪』は読んで、ちょっとばかりは記憶している。
 ‥‥なのだが、この金井美恵子の長い長い小説を、谷崎潤一郎と比較してもしょうがない気がする。

 小説は1980年の4月から始まるのだが、じきに高橋家の四女の美由紀の結婚式が予定されている。長女の夕香は英語に堪能で、アメリカに留学してアメリカ人の文学研究家、戯曲の作者とあちらで結婚した。次女の朝子は美大を出て、「コンセプチュアル・アーティスト」の進と長く同棲していて、三女の雅江は幼稚園の先生になり、そこの学童のお父さんの男やもめの信行と恋愛関係になり、どうやら結婚するようだ。
 約十年の経過のあいだに、美由紀は離婚して日本に戻ってくるし、朝子はいちどは進と籍を入れるのだが、けっきょく離婚する。雅江は信行と結婚し、さらに子どもも授かって実家で母といっしょのことが多い。美由紀にもしばらくして子どもが産まれるわけだ。

 美由紀には気弱なところがあり、帰国後に持ち上がる縁談も2回もあったのだが、いずれも婚約というところまで行くが美由紀が破棄してしまう。朝子は画家としてそれなりの評価も受け、進と別れたあとも建築家との恋愛関係をつづけるが、さいごには彼とも別れてしまう。通俗観念にとらわれない生き方を選んでいるようだが(彼女の「世間」への視点とか、この朝子が作者の金井美恵子にいちばん近しい存在のようにも思えた)、将来への不安はある。雅江は母との関係もうまく行き、信行も高橋家の中で発言権を得ているようだ。末の美由紀はちゃっかりしてるところがあり、家族の中でうまく立ち回っているように見える。
 ここに姉妹の生き方についつい口をはさまずにいられない母親の存在があり、この五人を中心に話は進んでいく。母親の住んでいる実家はおそらくは群馬の高崎市。父は地元では「名士」とされる弁護士で、叙勲もされるのだが先に亡くなってしまう(この家族は「アッパーミドル」ではあるだろう)。四姉妹はそれぞれ東京で(長女はアメリカだが)夫と暮らしており、何かがあると実家に戻り、そのまま実家でしばらく生活したりもする。

 まあタイトルに「恋愛」とあるように四姉妹の「恋愛話」がメインとなって、延々とくっついたり別れたりという話が、主に母をまじえた五人の会話、それぞれの独白というか「思い」と共にあっちへ行ったりこっちへ来たりとするのだけれども、結婚式や葬式などの儀式、病気出産での入院、花見や紅葉狩りなどの行楽に五人がそろって出かけるあたりも同じように描かれる。
 まあそういう登場人物の「思い」、周囲の「意見」も重要なポイントではあるのだけれども、出かけるときにどんな服を着るか、どんな化粧をするか、どんな食事をするか、どんな酒を飲むか、どんな買い物をするかなどというような日常の些細なことにこそ、相当な文字数が使われる。ほとんど雑誌のカタログのような描写がけっこう長くつづき、わたしなどは女性のファッションのことなんかまるでわからないから何のことやらわからぬままに読み進めたのだけれども、同時代を知る女性の読者には「そういうのがあった」などと懐かしい思いもするのかもしれない。

 冒頭部の展開は何というか「コメディータッチ」でもあるというか、登場人物らの会話に声を上げて笑ってしまう場面も多かったのだけれども、この数年にわたって連載された作品で、作者の金井美恵子も途中で書く姿勢に変化もあったのではないかと思うところもある。
 今の金井美恵子の小説は、とにかく句点のない長い長いセンテンスを持つ文体で特徴的なわけだけれども、どうもそんな「文体」も、この作品の最初の方と中盤以降ではちょっと差異があるように思え、中盤以降に徹底されるような印象も受けた。それと、中盤にちょっとばかり、いかにも「恋愛小説」というような、登場人物の内面に迫るような描写もあったと思うのだが、正直言ってそういうところに「陳腐さ」を感じてしまったのも確かなこと。
 実はこの小説に登場する朝子は、設定ではわたしと同い年だし、全体の時代背景はわたしの同時代的に生きた時代でもあるのだけれども、その時代のわたしはいろいろと問題もあった時期で、あんまり思い出したくもないこともあったわけで(そもそも記憶を失って、思い出そうにも思い出せないことも多いのだけれども)、読んでいて「フム、困ったな」というところもあったことは事実である。
 まあ正直、小説全体のストーリー展開を楽しむというより、この小説のディティールの中に「あんなことが書かれていたな」と、あとで思い出して楽しむとか、そういうたぐいの作品ではあったかな?とは思うのだった。